見出し画像

『短歌研究』2022年5月号

焼けこげし木ぎれを布に結びたる十字架は立つ瓦礫のうへに 大辻隆弘 テレビで見た光景か。ウクライナの戦線だろう。手に入る精一杯のもので作ったであろう墓標が胸に迫る。人間だけがする弔いということ。 

観ずに死ぬ映画読まずに死ぬ漫画月光に首さらして眠る 川谷ふじの この世にはコンテンツがあり過ぎる。欲しいものを消費する前に人生が終わってしまうだろう。主体は、自分の人生の残り時間を計算するわけでなく、月光に首をさらして無防備に眠る。

「よかったね」と言へば「何が?」と返すこゑ弱々しけれど生きてゐるこゑ 桑原正紀 この作者の妻を思う歌には強い感銘を受けずにはいられない。コロナに感染し、命が危ぶまれた妻。何とか回復した妻に声をかけたが、妻は事態を理解できない。それでも生を喜ぶ作者。
 ぜひ連作で、エッセイも合わせて読んでほしい作品だ。ここまで人は人を愛せるんだと痛切に思う。

幾たびも巌に叩きつけられて呑まるる魚のごときを見たり 桜川冴子 凄惨だが、次の歌よりカワセミの狩りの場面と分かる。カワセミの飛ぶ姿は絶句するほど美しい。そこでなく、カワセミの生きるための行為に的を絞ったところに目の付け所の鋭さを感じる。

歌はねえ生き方なんだいまさらの言葉を語る人へふりむく 玉井清弘 以前よく言われたが最近聞かなくなった言葉。「いまさら」に込められたのは肯定か否定か。どちらとも取れるのがこの歌のいい点だ。もう時代は戻らないだろうが、こういう考え方の人がゼロになるのも寂しい。

後ろ手を組むがごとくに羽を背にたたみし鴉いま歩きゆく 花山多佳子 鴉が羽を畳んで歩いていると確かに後ろ手を組んでいるように肩(?)のところが少し盛り上がっている。羽の色ではなく形状、飛ぶ姿ではなく歩く姿を描いて、人間に引き寄せて見ている。

⑦馬場あき子〈私は第五歌集『桜花伝承』刊行を控えて、その見本が届く日を心待ちにしていた。(…)何と、箱も、本体の布クロスの金の箔押も見事な鮮かさで「桃花伝承」となっているではないか。〉これってよく知られたエピソード?もう時効だから笑っていいですか。

扉閉まります、と聞こえたそのあとに閉まりかけてまた開いた扉 平出奔 どこかで誰かが強引な駆け込み乗車をしたのだろう。アナウンスに反して扉はまた開いた。まるで自然現象のように。人がたくさんいるはずだが、気配しか感じられない。門構えが多く、視覚にも訴えてくる歌。

菜の花がわたしの名前 菜の花って呼んで背中から撃ってみて 山崎聡子 スケートの歌の間の一首。なぜ撃ってほしいのか。見た目の美しさと違って、スケートは氷や刃などを使う過酷さがあり、死のイメージに近づくのだろうか。繰り返される菜の花もスケート場では不思議な印象。
 全くスケートと切り離して、自分の想像の一場面を挿入しているのかも知れないが、スケートの持つ苛酷で寒々しいイメージには繋がっていると思う。

2022.6.6.Twitterより編集再掲