『歌壇』2020年9月号
①わが姿見よとぞアマビエ泣きたりき水俣の海ひとたび死にき 川野里子 アマビエは熊本の海から現れたらしい。この一連はアマビエから、海の汚染などの戦後日本を振り返る視点を持っている。読み応えがある。
②吉川宏志「戦争の魔力と闇 今『大東亜戦争歌集』を読む」血と土にまみれし友の冷えし手を胸にくみやりぬわがぬくき手に 稲葉初吉〈「友の冷えし手」と「わがぬくき手」の対比が心に残るが、自分もすぐに「冷えし手」の側になるかもしれない〉すばらしい評論を読んで興奮している。
全6ページの、短歌の月刊誌としては長めの量だが、筆に力があってどんどん読める。引かれている歌がいい。戦争から時間が経って、読みにくくなっている歌を丁寧に鑑賞していて分かりやすい。全体の結論にも納得。いい文章を読んだ喜びに浸っている。
③奥田亡羊「〈戦争を知らない世代〉の戦争詠」〈私は少し視点を変え、戦争ではなく、平和とは何かを考えることが重要なのではないかと考えている。〉とても共感できる視点の持ち方だ。当事者問題に対する回答の一つと思える。当事者でなくても、詠いたいし、詠えるのだと思えた評論。
④奥田亡羊その2 或る朝醒むれば俺はパシュトゥンで蜜柑屋台ののっぽの親父 矢部雅之〈歌人が戦場でうたうこと自体、戦後短歌史では初めての出来事だったが、それにもまして私が驚いたのは、矢部の歌に戦争らしい戦争がうたわれていなかった…〉この指摘は鋭い。現場だからこそ、か。
⑤奥田亡羊その3 空爆の映像果ててひつそりと〈戦争鑑賞人〉は立ちたり 米川千嘉子〈たしかに「戦争鑑賞人」よろしく、使用された武器や攻撃目標について解説する専門家の姿は異様だった〉当時テレビで見てこんな専門家がいるのかと驚いたが、米川の歌の〈戦争鑑賞人〉は作者、つまり米川自身ではないか。
⑥松澤俊二「近代短歌研究の手引書としても」 加藤孝男『与謝野晶子をつくった男』の書評。〈本書を、与謝野鉄幹や晶子、「明星」周辺に興味を持つ人々だけでなく、広く近代短歌研究を志す人たちに、絶好の手引書として、推奨したい。〉短歌を研究するポイントを本書に沿い示す。
この本も、評者である松澤の著書も、短歌の研究書として本当に興味深く、多くの知見を得られる。松澤の示すポイントは短歌評論を書く上で欠かせないものだ。ただ、タイトルは、『歌壇』連載時の「鉄幹・晶子とその時代」の方が好きだ。同題のものがあるから変えたそうだが。
最近、『短歌研究』の松村由利子連載「ジャーナリスト与謝野晶子」を読んで、晶子の偉大さや卓見に驚いている。与謝野晶子は誰かに作られた存在ではなく、晶子自身で成ったのではないかと思うのだ。
⑦黒瀬珂瀾「春日井建」〈短歌という保守的空間において性愛表現へ挑むには、春日井にもそれなりの自己防衛が必要だった。そして、その自己防衛が前衛短歌というヴェールであったと思われてならない。〉これは春日井について新しい視点ではないだろうか。記憶するべき一行と思える。
2020.9.2.~6.Twitter より編集再掲