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『歌壇』2025年1月号

①入谷いずみ「いろは歌の文化史」「に 日本の初等教育」
〈紫式部の時代には、仮名は、有名な古歌を続け字で書き写して練習した。いろは歌で手習いするようになるのは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて。〉
 いろは歌に関する歴史を「いろは順」に紹介。とても面白い。

②入谷いずみ「ほ 梵字(ぼんじ)とアイウエオ」
〈五十音図はいつ作られたかというと、実は、いろは歌の初出例、『金光明最勝王経音義』にほぼ現在と同じ形で五十音図も載っており、さらに遡って『孔雀経音義』にも少し形を変えて載っている。つまり「あいうえお」は「いろは」と同じくらい、またはもっと古いかもしれない。(…)「いろは」も五十音図も、本来は仏教研究のためにあり、子どもが字を覚えるために作られたのではない。〉
 とても興味深い。元々仏教研究のためのものだったというのが驚き。

③入谷いずみ「へ 便利なことわざ覚え歌」
〈巷でいろは歌が廃れても、昭和の正月までは「百人一首」より「いろはカルタ」の方が人気だった。〉
 これなー。じゃ、いつどういう経緯で「百人一首」が人気になったか気になる。いろはカルタが江戸時代に大流行したというのも本稿で初めて知った。その他「虎に翼」の項も初耳だった。  
 本論はお正月にふさわしい、しかも関連を色々調べたくなること満載の面白い文章だった。

④吉川宏志「源氏物語 夕霧」
〈気持ちと風景が一体化している。人の心とは、自分の内部だけにあるのではなく,外側に広がる環境とも、微妙につながっているのですね。〉
 これは源氏物語以外にも言えることだ。気持ちと風景が重なり合うからこそ叙景歌が生きるのだと思う。

⑤吉川宏志「夕霧」
〈落葉宮は、心の浮ついた人はお帰りください、と言っているのですが、夕霧は、自分は浮ついていないと思っているので、帰らなくてもいいと解釈してしまうのです。このコミュニケーションのずれは、ある意味とても怖い。〉
 とても怖い。現代の日常生活でも同様の事がいくらでも起こりそうだ。

質量を持たぬといえどこの夜の月光確かにわが額(ぬか)を撃(う)つ 三井修 月光に限らず光りには質量が無い。しかしそれを改めて言うことによって、光りを硬質に把握し直す。月光が額に差した、のではなく、額を撃った、という表現も実感を伴う。

あのことは赦せばよかった 壜底にアカシア蜂蜜凝りて沈む 三井修 「あのこと」が何かは読者には分からない。読んだ者がそれぞれの「あのこと」を思い浮かべるような構造になっている。許せなかった自分の思いを、壜底に凝って固まる蜂蜜が象徴している。

⑧江戸雪「永井陽子 太陽のうさぎ⑮」
〈固有名詞を使うと場合によっては私性が拡散され薄まる傾向にある。そのうえ五十音順に並べられると、一首一首が関係を断っていることを意味する。連作においてうた同士が微妙に凭れたり繋がったりしながら空間が作られるということを拒否しているのだ。〉
 永井陽子の『モーツァルトの電話帳』は近代短歌の一つの特徴である連作に依らない歌集なのだ。『方代』も一首屹立だがある程度編年順でそれは何らかの繋がりを断ち得ない。それよりもさらに、永井陽子は「五十音順」という枠組みで歌と歌との繋がりを断ち切っている。今まで、面白い構成だなあとぼんやり思っていたが、今回の江戸の論で連作の空間を拒否しているのだという見方を与えられた。『てまり唄』と絡めての私性の考察も面白い。

2025.1.13.~15. Twitterより編集再掲


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