第二芸術論・前衛短歌(前半)【再録・青磁社週刊時評第八十四回2010.2.22.
第二芸術論・前衛短歌 (前半) 川本千栄
(青磁社のHPで2008年から2年間、川本千栄・松村由利子・広坂早苗の3人で週刊時評を担当しました。その時の川本が書いた分を公開しています。)
角川『短歌』2月号から共同研究「前衛短歌とは何だったのか」が始まった。第一回は「前衛短歌の登場1」、副題は「占領期文化の克服へ―前衛短歌の戦後史的必然を考える」、執筆者は三枝昻之である。アメリカによる占領と、GHQの出版物検閲における戦前戦中の否定・当時のナショナリズム否定の指針が、敗戦による国民の自信喪失と相俟って、日本人の心的傾向がアメリカ民主主義讃美・国語の否定・伝統否定・伝統詩否定へと繋がっていく様子を解き明かしている。さらに伝統詩否定論者による「第二芸術論」の隆盛と伝統詩側の受けた痛手、またそれが前衛短歌に繋がったとする時代の流れを解きほぐしている。まさに前衛短歌の序章の時代である。
また、2月11日には花山多佳子ら女性六人のシンポジウム「今、読み直す戦後短歌」の二回目が行われ、その副題は〈「第二芸術論」の時代〉であった。非常に近い時期に第二芸術論に対する論考を二つ見聞したことになる。このシンポジウムと三枝の論に関しては先週の週刊時評で松村由利子が詳しく取り上げているので、なるべく重複しないところを述べてみたい。
三枝の論で目立つのは、その口調の強さである。論旨は、三枝の『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店2005年)で第二芸術論について述べた部分とほぼ同じなのだが、今回の文章は短い分だけ言葉が激しい。まずアメリカ讃美の風潮を「あきれるほど軽薄なこうしたアメリカ追従が、伝統否定に広がり、伝統詩否定の風向きを強くした」と論断し、続けて強い口調、悔しさのにじむ論調で「第二芸術論」を痛罵している。
…第二芸術論のような粗雑な論がなぜ短歌を痛打できたのか。…理由は
ただ一つ、と見える。古いものを否定し、壊す行為はすべてよい。…そ
ういう占領期文化の追い風を受けたから、…占領期という時局に便乗し
たからである。…
…正しく読み、データを丁寧に集めれば、開戦の高揚と敗戦の茫然自失
は一目瞭然である。その両方を怠ったところに、臼井(吉見)の軽薄と
知的不誠実がある。…
…近代の戦略的見解をそのまま借用し、占領期の混乱に乗じたところに
桑原(武夫)の軽薄と不誠実がある。…
…小野十三郎の「奴隷の韻律」はどうだろうか。…これは反論不可能な
主張と言わねばならない。短歌や俳句のリズムが嫌いだ。これは小野の
嗜好の問題で、論ではないからである。…
三枝はこのように第二芸術論とその提唱の中心人物であった臼井吉見・桑原武夫・小野十三郎に対して強い批判の言葉を連ねている。第二芸術論は昭和二十一年から二十三年頃に出た論であるのに、それから六十年以上経った現在においても、三枝昻之という一人の歌人をここまで憤らせていることになる。逆説的ではあるが、私はむしろこのことに、第二芸術論の影響の強さ、歌人に対する破壊力を感じてしまう。
(続く)