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『塔』2023年1月号(3)

鈴虫の声に冷えゆく心臓の奥の井戸水 おまえがほしい 田村穂隆 鈴虫の声に連れられ意識が身体の内部に入っていき、心臓の奥の冷えた水に辿り着く。身体の中に井戸水があるのか、と覗き込んだ時、結句の声が聞こえて、どきりとする。「おまえ」は上句と関わりなく発されたと取った。

また同じ場所に立ちいる夢を見る夢でしか来ぬ川のほとりに 佐々木美由喜 こういうことはあるなあと思う。繰り返し同じ場所を夢に見る。前の夢の続きを見たりもする。現実には行ったことが無いが、夢では何度も来る場所なのだ。言葉の繋がりが滑らかで、内容がスッと入って来る歌。

商店を継ぎし友みな廃業す屋号で呼びあい育ちし町の 高鳥ふさ子 今、個人経営の商店はどこも経営が厳しい状況にある。作者の友人で親の店を継いだ人たちはみな廃業してしまった。「○○屋」さん、と屋号で呼びあったというのが一つの時代を感じさせる。結句が「町」なのが情感がある。

待つほどにふさがれてゆくこころ でも覚えておいて秋は火の季節 山川仁帆 三句の句割れが鮮やか。上句の鬱屈をガラリと反転させて、激しい下句へと導く。火が燃えるように木々が紅葉する季節。火の季節という直喩が強い。心をふさいでくる相手にも自分にも覚えておいてと告げるのだ。

抱きつけばぎゅうっと充電できるようなそんな彼女が欲しくて 2年 夏机 自分の中に力が蓄えられるような抱擁だろうか。抱きつく時の擬音が充電に重なる。結句の一字空けは、まだそんな彼女に出会えていない虚しさを表しているのだろう。2年が過ぎそのまま時が経とうとしているのだ。

ふりだしにもどってそのままサイコロを振らずに寝てる毎日ですよ 西村鴻一 何か問題があって全てがふりだしに戻ってしまった。そしてその後やる気も起こらない。ただ毎日を無為に過ごしている。結句の最後、「ですよ」が丁寧語なのだが、投げやりな、開き直った雰囲気を醸し出す。

㉝魚谷真梨子「子育ての窓 未分化な世界で」〈毎日、新しいことを知って世界を広げていくのは見ていてもわくわくする。一方で知ることで消えていく世界もまた存在する。〉知ることで失っていく、未分化な世界。子育ての喜びと寂しさの、とても繊細な気づきを教えてくれる文だ。

園児たちしめじのように集まって秋風のバス発車の時刻 春野あおい おかっぱ頭の園児たちが集団になるとしめじのようだ、という把握。少し背の高い子も低い子もぎゅっと集まっているのだろう。きのこではやはり描写不足で「しめじ」という特定がいいのだと思う。

僕は僕に触れてあげよう 色づいた葉だけじゃなくて、ぼくにもそっと 永井貴志 自分で自分の心にそっと触れる。自分で自分を癒すかのように。色づいた葉に触れる時のように、触れた側も癒される。~してあげる、という言い回しは、ある程度浸透してはいるが、新鮮さがある。

これが愛の、これが誠実の設計図。これは裏切りの、これは告白の。 伊澤椅子 他人との関りは唯一のものであると共に、ある程度のパターン化はある。それを設計図と表現した。愛、誠実は状態で、裏切り、告白は行動だ。さりげなく混ぜているが、裏切りの設計図が一番言いたいことかも。

本当は苦手な人がいたにせよもはや言えないほど金木犀 といじま 結句の飛躍がいいと思った。もっと具体的な何かを入れれば散文的になってしまう。もはや言えないほど何?と思いながら、金木犀の香りに思いを馳せればいいのだと思う。

㊳朝野陽々「月集評」薔薇色の雲薔薇色に咲く空の何かが欲しかった私はいない 川本千栄〈漠然と、何かを渇望する気持ち。それを抱いていた主体はもういない。既に手に入れたからなのか、あるいはもう手が届かないものと諦めたのだろうか。〉評をいただきました。ありがとうございます!

2023.2.5.~2.7.Twitterより編集再掲

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