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『塔』2024年12月号(1)

①「年間回顧座談会2024」
小林文生〈是枝裕和さんが映画を作るときに、最後まで言わないで観客に解釈を任せるって言ったのに対して、永田和宏さんが、短歌も全く同じ、余白を持たせるっていうか読者に任せるっていう話が面白くて。それで、ひょっとすると絵画も音楽も、芸術ってみんなそうじゃないかという気もしてきて。〉
 小題は「行けなかった全国大会」。読売新聞の記事を読んでのご意見をいただきました。芸術ってみんな…の部分が鋭い。是枝×永田対談は『塔』2月号に掲載します。

過労死を免れるため生きるためひとり湯に浮く溺死のごとく 近藤真啓 激しい労働の後の入浴。リラックスできるはずのひと時なのだが、ここでも心がサバイバルな向きに尖っている。お風呂でゆったりしているはずの自分を「溺死のごとく」と殺伐と捉える。

変換の苦手なノートパソコンが不出来な吾のやうで愛しい 近藤真啓 上句、よく分かる。私もなぜこれが第一候補として出て来る?と自分のPCの変換能力のズレ方に驚くことがあるが、この歌の下句はそのPCを自分と重ねている。機械へのその愛がどこか孤独を感じさせる。

同じ結婚式について話す時、談合のごとき雰囲気がある 廣野翔一 印象はそれぞれ違うのだけれど、当たり障りの無い方向にお互いの印象を擦り合わせるような雰囲気がある。他人の大切な行事に関してはよくある話。特におめでたいものであるべき結婚式ならなおさらだ。

日傘閉じ眼が慣れるまでのふかみどり ペルソナをつけ替えて歌会へ 中井スピカ 暑く明るい戸外から建物の中に入った時のちょっとした時間。「ふかみどり」がいいと思った。一呼吸おいて、自分の人格を歌会向きのモードに調整して歌会へ向かうのだ。

中ほどにくびれのあれば積ん読の歌集をもいちど積み直しけり 北島邦夫 大きい本の上に小型の本を置いていたが、その上にまた大きい本を積んでいったので「くびれ」ができて不安定になったから…。だめだめ、そんな積み直して安定させたら。ますます山が高くなるよ。

怒るとき体のなかに降る雨をあつめて夏には蓮が見頃だ 小松岬 初句から結句へと一気に詠んでいるが、途中で話が変わる。怒りのあまり身体の中を巡った雨が堀の水のように溜まり、蓮が見頃と言えるぐらい咲く。不思議な展開だが怒りが昇華されたようで爽快感がある。

にっぽんの一般婦女子をまもるため政府つくりし特殊慰安施設協会(RAA) 冨田織江 連合軍占領下の慰安施設を詠った一連。「一般」婦女子って何だ?という気持ちになる。国家の論理で一部の女性が差し出されたのだ。初句の平仮名書きにも批判が感じられる。

あぢさゐの押し花のやうに畳まれて卒業写真のなかのわたしたち 祐德美惠子 卒業アルバムの重いページに畳みこまれた押し花に自分たちの写真を喩えている。個人ではなく集団で動いていた学校時代。紫陽花がその象徴だ。ページを開けば、再び丸い花が時間を集めて咲く。

白濁の果肉のライチ やさしさをふいに見せられ齧るしかない 小田桐夕 初句二句のライチへの修飾に余韻がある。予期せぬ、人の優しさに触れ、それに縋りつくような気持ちを結句のように表現した。衝動的だが新鮮なエロスを感じた。

戦争に負けたと少女ら囁くを向日葵は大き目に聴きいたり 小川玲 向日葵の目はどこだろう。花全体か、あるいは花を顔に見立ててその一部を目と言っているのか。少女らの声は小さい。向日葵は顏を上げ聞き耳を立てている。少女の一人はその時の主体だったのかもしれない。

どうだっていい相手には本当のこととか言える 右手が冷たい 瀬崎薄明 大切な人には心が開けない。どうだっていい相手にはどうだっていい口調で実は本当のことが言える。その時これを本当に大切な人に言いたかったという気持ちが手の冷たさに現れる。とか、が効果的。

2025.2.4.~6. Twitterより編集再掲

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