『うた新聞』2020年12月号
①加藤孝男「ヴィーナスとルシファー-与謝野鉄幹という男」〈鉄幹の中では、西欧の影響と同時に、日本の仏教思想の影響がみてとれる。〉この説は新鮮。「考えればすぐ気づくよ」と聞いた誰もが思うことを、最初に指摘するのが発見というものだろう。
②十谷あとり「玉城徹の歌」ゑんどうの素枯(すが)れひそけく風とほりもてあつかひぬ酢牡蠣一つを/いとまなく立ちはたらくが美しと見て席にあり誂へてのちに 玉城徹 〈いずれも「もてあつかふ」「誂らふ」という古語が生きて短歌の中で使用されていること、使用されているのみならずしなやかな筋肉のように歌の骨組みを支えていることに感嘆したのだった。〉文語と言わず古語と言っているところに賛成する。現代語にいかに古語を交え、十谷の言うように歌の骨格を支える働きをさせるか。それが文語口語と言っている話の、本来の論点ではないだろうか。
③島田修三「文語口語あれこれ」〈「うた新聞」に今年四月から半年連載された川本千栄「近代文語の賞味期限」はスリリングで面白かった。〉自分の事で失礼。以前も書いたが「2020ミニ年間時評」の欄で取り上げてもらい、とてもうれしかった。スリリングは最高の誉め言葉。
〈鉄幹・子規の仇敵たる桂園派の祖、香川景樹が早々と口語の導入を説いていた事実を欠くのが惜しい。〉これは本当にありがたい指摘だ。旧派の祖・香川景樹が実は口語短歌の急先鋒であったという話を読んでいたのに、論に入れることに頭が回らなかった。今後の課題としたい。
〈口語短歌はいつ頃を嚆矢とするのか、という問いに、川本は和歌革新運動期だと明言する。(…)少なくとも俵万智や穂村弘の登場した時期などとするのは短歌史に対する無知。〉本当に意を汲んでもらってうれしい。私は文語使用を批判しているのではない。文語口語という区分けを見直したいのだ。
2020.12.28.~29.Twitterより編集再掲