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『現代短歌』2022年3月号

①特集「永田和宏の現在」とても充実した内容だった。あまりにも多くの歌集、そして歌人が短期間に消費される危険にさらされている現在において、こうした特集は大きな意味を持つだろう。コマーシャリズムに流されない短歌の捉え方がここにはあるのだ。

②「永田和宏の現在」瀬戸夏子〈順に永田の歌集を再読していくと、何かが足りないという感覚がどんどん強くなっていく。(…)永田和宏を永田和宏たらしめる、歌人としての決定的なテーマとは「伴侶である河野裕子の死」だ。〉これは賛成できない。
 河野の死以前の作品はその時点での価値が必ずあるはずだ。壮年の作品を褒めて、遡って青年時の作品を「足らない」と切り捨てることが出来ないのと同様だ。河野の死による喪失感を抱えた永田の歌を、瀬戸が好むというのはよく伝わって来るのだけれど。

③「永田和宏の現在」今井恵子〈作者の立場にたった鑑賞批評による傾向が強かった短歌界において、早くから読者の側にたった、読みの重要性を強調してきた永田の論は、多様な読みを認め合う今日の状況を強く推進したものとして記憶しておきたい。〉これは重要な指摘だ。
 『塔』3月号の吉川宏志「青蝉通信」とも共通するテーマだ。むしろ「読み」の重要性の方が強調される現在、それを推進した一人が永田だったというのは、今後の議論のためにも心に留めておきたいことだ。

④今井恵子〈(引用した永田の歌の)視覚イメージが、切実かつ自然であることにも注意しておきたい。主題を演出する技法が、主題より前に出ず、読者の感興を阻害しないのである。〉これは歌の作り方のhow toのような文章。引用歌と併せて読めばなるほどだ。

⑤今井恵子〈母性憧憬はいつまでも未完のままで、未完であるからこそ、長く主題として歌い続けられるのだろう。繰り返されるおぼろげな幼児期の記憶の母は、いつまでも母が不在であるからこそ、歌の、強力なモチベーションとなった。〉母の死後の時間、妻の死後の時間、永田和宏は二つの死後の時間を生きている、と今井は分析する。とても行き届いた論だと思った。論の前半で永田の歌論の「内容」と「詩」を今井が考察する部分も、短歌の「読み」を考える上でとても勉強になる。そこはぜひ今井の文章で読んでほしい。

⑥「永田和宏の現在」「全歌集解題」どの歌集解題も良かった。ほとんどの書き手が当該歌集以外にも複数の歌集を読んで書いていることが伝わってくる。五首ずつの抄出歌を読むだけでも永田の歌の変遷がくっきりと分かるのだ。

⑦染野太朗「永田和宏の二人称」〈「あなた」によって「わたしとは何か」ということが照らし出されるタイプの歌が少なくないのである。(…)「あなた」への眼差しというより、自らに向かう眼差し。それが永田の二人称の歌の大きな特徴の一つである。〉永田の二人称への新鮮な論点。

⑧「永田和宏インタビュー:聞き手澤村斉美」 永田「ある連作の中に、いわゆる地の歌みたいな、芸術的にはもう一つだけど、言いたいことがあるんだという歌、その一方で、言いたいことを控えて芸術的に昇華されている歌、そういう要素が混じっててもいいだろうという気がして。」
 永田自身の連作や歌集の作り方の底にある考え方のようなものか。この発言の前後で『置行堀』の一つの方向性が明らかになっている。社会詠に対する姿勢もよく分かる。

⑨永田「いろんな人が同じある出来事をどんなふうに詠っていたかっていう歌のアンサンブル(合唱)としてそれを見ることで、その一つの出来事がその当時の庶民にどんなふうに捉えられていたか、生活にどのような影響を及ぼしていたか、そのことが後でわかる。」これを含む永田の発言に対して、澤村斉美が「万葉集的なあり方ということですね。」と相槌を打っており、永田の発言の輪郭がいっそうクリアになっている。一人一人の感情の器としての短歌と、庶民の感情の集合体としての短歌はまた機能が違うのだろう。面白いインタビューだった。

2022.3.27.~28.Twitterより編集再掲