角川『短歌』2021年3月号
①東直子選「「春」が入らない春の歌三〇首」過ぎゆきてふたたびかえらざるものを なのはなばたけ なのはなの はな 村木道彦『天唇』〈ひらがなによる「なのはな」の羅列が、山村暮鳥の詩「風景 純銀もざいく」を彷彿させる。〉いちめんのなのはな/いちめんのなのはな…ね?
鬼なることのひとり鬼待つことのひとりしんしんと菜の花畑なのはなのはな 河野裕子『ひるがほ』 しかし何がびっくりするって、この歌と下句七・七が全く一緒。漢字か仮名かは違うけど。『天唇』(1974)、『ひるがほ』(1976)。まあ、初出に当たらないとどちらが先か分からない。
東が言うように山村暮鳥の影響かも知れない。暮鳥の詩は1915年だから、二人ともそうかも。もっとびっくりするのが、私が『天唇』を読んだ時に全くこの歌に気づかなかったことだ。読んでいるようで、目が動いているだけ。実は読んでいなかった、だ。
②「東日本大震災から10年」佐藤通雅〈この小詩型によって世界へ発信するには、あまりに辺境的すぎる。しかし、たまたま出会った辺境性ながら、それを突き詰めることによって、逆に世界への通路が開けてくるのではないかと考えてきました。〉逆説のようだが真理だ。
〈具体を生きぬいて、ある普遍へやっと手が届いたとき、世界思想へとつながるのではないか。〉そう思っていた佐藤が経験した東日本大震災。〈すべての善悪の判断は、もはや成立しない、それならば、死者は生者を許し、生者は死せる人の分も含めて再出発するほかない。〉〈人は誰でも(…)むき出しの個人として放り出されることがある。そのときどうするか。自分の生存力を賭けて、事態に向かうほかない。〉この佐藤の文はすごい。震災の発生からずっと佐藤の発信を受け取って来た。今この時点で一つの思想として屹立していると思う。具体から普遍へ、世界文学、世界思想と繋がる道が示されている。
③「東日本大震災から10年」梶原さい子〈震災を詠うときに言葉がいうことをきかなくなるという体験をし、短歌はとても生理的なものであるという短歌観を得た。〉別のところで梶原は自動筆記のように歌が出て来たと言っている。言葉に定型に、心身を乗っ取られて歌が出て来る感じか。
わかる。私も、定型が言葉を通じて、悲しみを、苦しみを吸収してくれる、定型が出来事と自分の心との間のクッションのような役割をしてくれる、と感じたことがある。そんな時、歌は、作るのではなく、出て来る感じがする。
④「東日本大震災から10年」高木佳子〈作品に詠えば詠うほど、自他の差異は明るみに出て拡散し、思わぬ人を傷つけ断絶し、あるいは過剰なまでに結びつけ、連帯するものになっている。〉三原由起子〈原発事故で学校が閉校に追い込まれ、コロナ禍でお別れすらできないなんて、十年前には想像もつかなかった。〉 広く見回して考察を深める高木の文、自分の実体験を「極私的」と位置付けながら、丁寧に書き綴った三原の文。どちらも深い考察に導いてくれる。これら以外にもじっくり読むべき文が多かった。
⑤内山晶太「歌壇時評」山中律雄『川島喜代詩の添削』について〈原作では一首の輪郭がくっきりとしている代わりに、読者はその内容を納得するところまで短時間のうちに到達して終わってしまうのかもしれない。添削のほうは(…)一首全体の輪郭はぐにゃぐにゃとした捉えどころのなさがあり、そのぶん読者の思考をうながす要素が含まれている。〉この文は内山が角川『短歌』12月号の比喩についての論考で〈読み手を躓かせ、また立ち止まらせるための手法としての比喩〉と書いたことと繋がり合う。分かり難い、ということが現代短歌の一つの(傾向ではなく)手法としてあるのだ。
どちらの文も短歌を詠み、読む上で、現在私が考えていることに深く食い込んでくる、とても刺激に満ちた文だった。また、今回の時評の後半もまさに適切な指摘だと思った。
2021.3.28.~31.Twitterより編集再掲