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『かりん』2024年8月号

郡司和斗「短歌のなかの共時者性」
〈真の当事者や完全な当事者、第一の当事者を設定することには無理がある。というよりも、どのような出来事に対しても当事者性をゼロにすることのほうが難しいだろう。〉
 後半、確かにその通りだと思う。
 これに対して「共時者性」という語が紹介されていて興味深く思った。当事者性を重視すれば弾かれてしまうだろう社会詠も、この語で肯定することができる。例歌とその捉え方も納得がいった。題詠的社会詠に切り込んでいて、色々考えさせられる論だ。

2024.9.6. Twitterより編集再掲

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