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角川『短歌』2023年6月号

晩春は銅貨のいろにひぐれつつはじめから無い兄弟姉妹 小島ゆかり 銅貨のいろ、に惹かれた。晩春の夕暮れの色を巧みに表しつつ、どこか寂しい情感を醸し出す。下句は作者のプロフィール的なことも思わせるが、自分ではどうしようもない孤独感に、普遍性がある。

②特集「ライトヴァースの重量」
 この用語は、元の詩の批評用語とは少し違う意味で使われていると思うが、既に短歌史の中で一定の定着を見ている。この時代の短歌を表すのに、この用語を使うのは適していると言えるだろう。あくまで短歌の、ライトバースということで。

③「特集」
小塩卓哉〈短歌におけるライトヴァースの起源の一つとして狂歌が指摘されているのは興味深い。ライトヴァースという語に、現代風パロディーの要素が見出されていることは間違いない。〉
 内容のパロディ的軽みもだが、文体ということも含まれているのだろう。

④「特集」
小塩卓哉〈(岡井隆の)『親和力』には「まだ時間はあるだらう」という一連がある。この一連はT・S・エリオットの詩を読み、「勝手な発想を走らせて作った」と「あとがき」で言う。〉
〈エリオットは、先の「現代詩手帖」の特集で、英詩における第一人者として取り上げられている。〉
〈ライトヴァース的な要素を短歌に定着させたという意味で、岡井の功績は再検証されるべきであろう。〉
 まさに英詩のライトヴァースと短歌との関係を論じた部分。具体的なので、自分で読む時の道案内になる。

⑤「特集」
藪内亮輔〈一方で、岡井は前述の歌人たちと異なり、オーデンの定義を正統的に、ただし自分なりの解釈を加えつつ、自らの歌に導入していったのではないかと考えられる。〉
 藪内の論は短いがとても濃い。岡井隆の短歌を分析する手際も鮮やかだ。

 岡井隆はライトヴァース短歌の庇護者などではなく、自らがその概念を最も過激に歌作に取り入れて、変化していった歌人なのではないか、などということをこの特集で考えた。

⑥岩井謙一「短歌月評Ⅰ」
小説の中だからこそ死ぬアンナ現実にはその唇(くち)をぬぐって 川本千栄
〈『アンナ・カレーニナ』の本を読んでいる一連の作で、結句により小説と現実との乖離を鋭く突いている。〉
 一首引いて評をいただきました。ありがとうございます!

2023.6.5.~6. Twitterより編集再掲

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