〔公開記事〕「連作はどこへ行くのか」『短歌往来』2022.12.
はい、これは分詞構文、ニューヨークタイムズの弾むような文体 大松達知
この一首はどのように読まれるのが適切だろうか。作者の職業が英語教師だという背景知識は読みに役立つが、それを知らなくても、初句二句が発話であり、学校等の英語の授業でしか聞かれないものだということは、誰でも容易に見当がつく。
三句以下では、「ニューヨークタイムズ」の文体を、「弾むような」と捉えている。それを生徒に教えている時、作者自身の心も弾むような気持ちになっている。長い時間をかけて作られた教科書と違って、新聞英語は今この瞬間を伝えてくれる。そんな新聞を教材として使う作者は、英語教育に熱心である以上に英語が大好きなのだ。
一首で読めばそんなところだろうか。だが、これは連作中の一首である。そして連作タイトルは「戦争」。この歌の一首前には次のような歌がある。
侵攻のはじまる朝を待っていていきいきとニュースの解説をした
つまり、作者が弾むような心で解説しているのは、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースだ。だからこそ「戦争」というタイトルなのだ。発表されたのは、『現代短歌』九月号の特集「ウクライナに寄せる」である。連作で読むと、内容が悲惨な戦争でも生きた英文で教える時は心が弾む、という語学の教師の複雑な心境が見えてくる。
一首では完結していない歌が、連作という場で他の歌を背景とし、また他の歌の背景となって全体を構成する。一首で読んでいた歌が、連作の中で読むと違って見えてくる。近代以降の連作を読む楽しみであり、一首屹立の古典和歌との違いでもある。
最近、この連作の力が弱っているのではないか。一首で完結した歌を、アンソロジー的に味わう場が多いように思う。一般の読者には一首単位の方が読みやすい。しかし、そんな完結性の高い一首を並べて連作にすると、却って印象が弱まってしまうのだ。近代短歌と共に歩んできた連作は今後どうなっていくのだろうか。
『短歌往来』2022.12. 公開記事