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『塔』2023年9月号(1)

①花山多佳子「河野裕子の一首」
ひとはなぜ亡きひとのこゑを憶えゐる呼ばれればすぐに振りむけるほどに〈五八五八八の大幅な破調だが、上下でバランスがとれて自然な韻律ですっと入ってくる。「ひとはなぜ」という初句はどこかフォークソングの歌詞を思い出させる。〉
 「風」の歌詞をまず思い出す。河野の歌に対してフォークソングの歌詞、という指摘はあまり見ないが、重要だと思う。河野裕子に限らず、短歌はその当時の流行歌の影響を必ず受けている。断片的な歌詞や、一音に対して言葉数の多いラップのような歌詞などもそうだろう。

裏返し肉を焼きおり期待してないから優しくなることもある 吉川宏志 肉を焼き何も考えていない時、三句以下の考えが浮かぶ。怖い気づきだ。逆に言うと、期待しているから厳しくなるわけで、それを諦めた途端優しくなる。肉の裏を焼くように、少し気にかけてはいるが。

花を見るために播きたし亜麻と綿そう思いつつ過ぎし十年 永田紅 あることを今年こそしようしようと思いつつ、あっと言う間に十年が経つ。大人あるあるだ。子供なら一年生は朝顔、二年生はヒマワリ等決まっているが。亜麻と綿がいい。どちらもどんな花か私も知らない。

掴もうと手をのばすとき覚めるゆめあらゆる過去は液体だから 鈴木精良 下句が身に沁みる。過去はいつも暖かく優しく誘って来る。けれど液体だから掴むことはできない。指の隙間をすり抜けていく。過去という液体に浸っていても、必ずその夢からは覚めなければならない。

⑥吉川宏志「青蟬通信」
〈短歌の比喩は、日常的な世界に、異次元のものを呼び寄せる効果がある。あるいは、見慣れたものを、別の存在に感じさせる、と言ってもいいか。〉〈言わば比喩には、混沌とした世界に触れようとする意志が含まれているのではないか。〉
 与謝野晶子の短歌、尾崎世界観の小説を引きながら、比喩について考察した一文。ぜひ全文読んで欲しい。  吉川宏志「青蟬通信」はここから読めます。  ↓  ↓  ↓

⑦魚谷真梨子「子育ての窓」
〈人はなぜ生まれて、生きていくのだろう。日々成長していく子どもの姿を間近に見ながら私はそのことをずっと考えている気がする。〉
 今回で最終回。お疲れ様。そしてありがとう。哲学的な思惟に誘われるエッセイだった。

2023.10.9.~10. Twitterより編集再掲

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