仕事の歌(前半)【再録・青磁社週刊時評第五十一回2009.6.22.】

仕事の歌(前半)                川本千栄

(青磁社のHPで2008年から2年間、川本千栄・松村由利子・広坂早苗の3人で週刊時評を担当しました。その時の川本が書いた分を公開しています。)

 ここしばらく、いくつかの総合誌・結社誌が「仕事の歌」を特集した。『短歌往来』5月号「ハード・ワーキングを詠うⅢ」、『かりん』5月号と『短歌現代』6月号共に「特集・仕事の歌」である。ほぼ同時期に3つも特集が重なったということに加えて、『短歌往来』の特集は、タイトルからも分かるように、同じ企画の3回目である(1回目は2005年10月号、2回目は2007年3月号)。
 なぜこれほど仕事の歌の特集が相次いだのか。それにはいくつか理由があるだろうが、『短歌現代』の特集の扉に〈昨年の世界同時不況以来、派遣切りや雇用不安という言葉が飛び交い、「仕事」とは何なのか、ということを改めて考えさせられる。(…)〉とあるように、社会情勢・経済状況との関連から仕事の歌を再考しようという機運が高まったという点が大きいだろう。ただ、特集における文章では「仕事の歌」が必ずしも今詠まれている、あるいは読まれているとは捉えられていない。

(以下引用)
 仕事のうたの名歌は少ない。要因として幾つかのことが言える。一つは歌壇人口の高年齢化を背景に歌の書き手が定年を迎え職場を離れたことである。(…)二つは、農村漁村の肉体労働や工場における生産労働が軽く見られる時代になり(…)額に汗して働く人は少ない。(…)一人称としての日常性や体験を踏まえたリアリズムが軽視されて、読者の関心が別のところに移ろうとしている。(…)深刻な景気低迷の今日においても働く歌はきわめて人気がない。(…)
              島崎榮一「修羅の時代の美学」『短歌現代』
(以上引用)

 私自身は島崎と意見が重ならないところも多いのだが、ある年代以上の人が、仕事の歌が重視されなくなった原因をこう見ているのだ、というのは理解できる。つまり、歌壇人口の老齢化と若い作者の減少、重労働の軽視、リアリズムの軽視、などである。島崎のそうした問題点の指摘への返答になるかもしれないと思うのが、次の文章である。

(続く)

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