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『短歌往来』2024年10月号

①白川ユウコ「「少女の友」というSNS」
〈明治三十二年「高等女学校令」を受けての出版界の反応として明治期残り十年間で十誌、大正十五年間で十八誌の少女雑誌が誕生したことは特筆にあたいするだろう。〉
 その中で「少女の友」に焦点を絞った評論。すごく面白い。
〈思春期の女子たちの好奇心、表現意欲、承認欲求、そしてどこかに自分の仲間がいるはずというコミュニケーション領域拡大意識に着火した。〉
 この評論の注目すべき点は、戦前の少女たちが実は今と同じ精神構造を持っていることをくっきりと描き出しているところだ。
〈現在でいうところの「オフ会」か。それまでは交差することのなかった少女たちの生が、歌と雑誌によりつながってゆくこととなる。〉
 雑誌という媒介が現在のSNSと本質的に同じで、投稿欄で名前を知り交流している。スター的存在の投稿者はインフルエンサーのような立ち位置だった。

②白川ユウコ〈昭和十五年前後にはすでに文語体が当時十代、二十代の女性たちには身に添わぬ、意識的に学習して使用する表現となっていたことを窺わせる。〉
 「少女の友」では「口語和歌」と「和歌」という区分けだったようだ。「口語和歌」が現在の短歌だろうが、投稿された作品を見ると、自由律っぽい印象も受けた。
 「少女の友」投稿欄出身の歌人や小説家も紹介していて、この雑誌の影響力の大きさが分かる。もちろん経済的には恵まれた少女たちだったろう。斎藤史や中城ふみ子もそうしたカテゴリーにはいるのではないか。

③白川ユウコ〈高等女学校令には、身体的には妊娠・出産可能な女性を、結婚までは女子ばかりの空間に囲い込んでおく目的があった。このモラトリアムのなかから「乙女」「少女」「かわいい」文化が生まれた。戦時下ではさらにそれが否定される。〉
 ここ、本当、すごい。
 戦時下の方針に合わなくなって中原淳一が編集を去ったことも書かれている。しかし戦後に彼は「それいゆ」などで少女たちの雑誌に復帰し、そこに「かわいい」文化が引き継がれ、それが後の少女漫画雑誌などに繋がっていき、私自身もその影響を受けている、等と考えが次々に広がった。
 本当に良い評論を読めてうれしい。2014年に「塔60周年記念評論賞」で会員の河原篤子さんが「戦争を詠った少女たち~雑誌「少女の友」の投稿歌より」という評論を書かれた。戦中、短歌欄の選者の交替でどのように選歌が変わったかに注目した優れた評論だった。思い出して再読した。

④寺井龍哉「評論月評」
〈「塔」創刊七十周年記念評論賞を受賞した小田桐夕「記憶を残す/継ぐーシベリア抑留と短歌をめぐって」(「塔」7月号)はシベリア抑留の当事者や親族の歌を丹念に収集し、極限状態の人間心理と短歌の緊張関係を克明に描き出す。〉
 結社の評論賞も射程に入れて読んでいただいた。感謝です。この評論も含め、当月評で寺井が述べている問題点は短歌の本質にも触れるものでなかなか一筋縄ではいかない。短歌が石原吉郎にとって支えであった、しかし「逆説的な」支えであった、という指摘は重いと思った。

2024.10.24,26. Twitterより編集再掲

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