ポスト・ニューウェーブとは誰のことか(後半)【再録・青磁社週刊時評第二十二回2008.11.10.】
ポスト・ニューウェーブとは誰のことか(後半) 川本千栄
今年になって、ポスト・ニューウェーブと位置づけられた歌人はますます増えている。「短歌研究」(08年7月号)の座談会「若い歌人の現在」には「私たちはポスト・ニューウェーブ世代」という小題があり(本人たちがそう位置づけている発言はないが)、その座談会の若い歌人たちとは石川美南・野口あや子・吉岡太朗である。「短歌往来」(08年10月号)の「グローバリゼーションの時代の短歌」(中沢直人)では今橋愛・宇都宮敦・柳澤美晴・佐原みつるの名が挙っている。「戦後」が六十年以上続いているように「ポスト・ニューウェーブ」も十四年以上続いていることになり、次から次へと「わかもの」の名前が加えられている。
以上のように、「ポスト・ニューウェーブ」という語は、方法論の区分ではないはずなのにそう使われていたり、世代論としてもどの世代を指すのかが曖昧なまま使われている。つまり、人によってまちまちの歌人群を指す言葉であり、批評用語として有効ではない、というのが私の結論である。
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第54回角川短歌賞が光森裕樹「空の壁紙」に決まった。過去の技法を消化した高い技術力と新鮮でシャープな目の付け所が特徴だ。選考委員は三枝昂之・永田和宏・小島ゆかり・梅内美華子の四人。短歌研究新人賞の選考座談会では、選考委員が若さに固執して作者の年齢を気にしていたが、角川短歌賞の選考座談会ではそうした傾向は無く、逆に歌に虚心に向き合う姿勢が感じられ、読む側としても気持ちよく読むことができた。
吾(わ)がつつむ焔(ほむら)のなかのあをを吸ひ煙草をともす友のまなじり
あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず
クールな知性のひらめきとそれを支える安定した作歌力、ややクール過ぎる感じがするのが少し気になるが、間違いなく大きな力を持った新人が現れたという印象を持った。
「ポスト・ニューウェーブ」という語を好む人たちは、一九七九年生れの光森を果たしてその語で呼ぶのだろうか。そうした分類をやめて、その作者の歌そのものの魅力で見ていきたいと私は考えている。
了(第二十二回2008年11月10日分)