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『現代短歌新聞』2024年9月号

①都築直子「大西民子没後30年失意の美学」
〈大西はまた確信的な戦略家でもある。第一歌集『まぼろしの椅子』で「夫に去られた悲劇の妻」を打ち出すと、周りからどんなに批判されても、以後「悲劇」路線を貫いた。実人生に繋がるドラマを作品の背景として用いた。いわゆる作中のキャラ立てという点で、「都市文明を厭う山人」を打ち出した前登志夫に通じるものがある。〉
 大西は確信的に戦略としてあの路線を取っていたのか…。実人生がドラマの背景?そうだとしたらちょっと見方が変わる。前登志夫はそう言われるとそうかも、と思うが。

②都築直子「大西民子没後30年」
新しき黒もて黒を塗りつぶす分厚くわれの壁となるまで 大西民子
〈ローリング・ストーンズの初期の名曲「黒くぬれ!」と響きあう。二十代ミック・ジャガーの詞のことばと四十代大西のことばが合致する愉快。〉
 1966年の曲ね。大西の歌はいつ頃詠まれた歌なのだろうか。ポップスの歌詞と短歌の関係はいつも面白いテーマ。以前花山多佳子が河野裕子の初期の歌について、フォークソングの歌詞を思い出させる、と言っていたのも目からウロコだった。

ことば得て淋しさ知りし人の裔われは手触れぬうつくしき幹 福井和子 しっとりとした情感に惹かれた。上句は神話風。そんな「人」の末裔として自分も言葉があるゆえの淋しさを知った。だから黙って美しい木の幹に触れてみる。それもまた淋しい仕草ではある。

2024.10.2. Twitterより編集再掲

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