第一歌集の豊饒(後半)【再録・青磁社週刊時評第三十四回2009.2.9.】
第一歌集の豊饒(後半) 川本千栄
次に日常生活を素材にしつつ、歌の上手さで勝負するタイプ。
見られまいと枝の向こうへ回る蝉 震える腹がはみ出しており 細溝洋子『コントラバス』
雨の音は雨が何かにあたる音 ヒマラヤシーダに無数の葉先
畑中に梨の花咲く 人ならばきっと無口と思う白さに
ひとふりに大琉金はゆらめきて関町図書館閉館まぢか 柚木圭也『心音〔ノイズ〕』
強制はなかつた/あつた 黒鯛(ちぬ)群るるごとき真闇が地を覆ひ初む
チューニングときをり合ひて麦秋の路地吹く風に吾(あ)は響(な)りはじむ
細溝と柚木は、第一歌集を出すには若干年齢が高く、そのせいか技術的には相当高いものがある。ここに三首ずつ引いたが、これ以外にも非常に上手く味わい深い歌が多数有り、どれを引用するか迷うほどである。一首一首の詩情も豊かにあり、おそらくこのように数首引用すれば、この二人の歌が最も強い印象を与えるだろう。
この二冊に共通して言えることは、日常の小さな出来事を背景に作者の心の動きを丁寧に描写している点と、他者の影が薄いという点だ。細溝は「子」、柚木は「きみ」、と自分に近い他者が登場することはするのだが、その輪郭は淡く、作者の心の中で「私以外の他者」として存在するだけである。そのため、一冊を通して読んだ時、作者の心の動きを多く読むことになるので、いささか重く感じられる。
最後に実人生から離れて、言葉で世界を構築するタイプ。
君の着るはずのコートにホチキスを打てば室内/ひどくゆうぐれ 嵯峨直樹『神の翼』
呼吸音微妙にずらし合いながらまひるま誰と隣りあってる
僕たちは過剰包装されながら受け入れられておとなしくなる
ベツレヘムに導かれても東方で妻らは餓える天動説者 中島裕介『starving stargazer』
Staring at the star of Bethlehem, she’s a starving stargazer!
僕らにはドン・キホーテも神だった お茶とコーラを不味く混ぜつつ
The quartet playing quasar of queer quark quietly quits the quotation of Quixote.
嵯峨の歌から感じるのは言葉の力への信頼であり、嵯峨はそれによって一首を練り上げている。作者の経歴や人物像、人生上の出来事を素材にすることは一切無い。一首一首で読むと興味深いのだが、一冊を通して読むと、作者の心がひたすら言葉で描写されることになってしまい、やや観念的な印象を受けた。また性の場面を描いた歌は、加藤治郎の影響を強く感じるためか、受ける印象が似ている。
中島の歌は、英語の一行詩に日本語の短歌でルビを振る(残念ながら歌集ではルビには見えないが)という類を見ない形式を取っている。英語の詩は頭韻を踏んだものが多く、作者の言葉への執着度の高さに驚く。英詩と短歌は直訳ではなく、二重の詩情を味わうことができる仕掛けになっている。歌集後半はいわゆる普通の形式の短歌であるが、どちらの形式を通しても中島の歌から感じられるのは、かつての旧制高校風の教養主義からサブカルチャーまでの幅広い文化的素養である。ある知的で感受性の強い青年の姿が一冊の歌集を通して眼前するのである。
了(第三十四回2009年2月9日分)