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角川『短歌』2023年3月号

この歌集がこの世界への敵意でも終はりの一首までいとほしむ 今野寿美 「この」歌集がどの歌集を指すのか気になるところだが。実作者の一人として最近、どんな感情でも歌に込めていいのか、と迷うことが多い。愛おしんで読んでくれる読者の存在は大きい。

青海を眺めるわれを待つてゐる母 やり直す生はなけれど 梅内美華子 大きな青い海を眺めている作中主体。それを待っている母。お互いに言葉は発しないけれど、心の通じるところがあるのだろう。二人とも人生をやり直すことはできない。それも分かっているのだ。 

杉の葉にやがて埋もれてゆくだろう墓の梵字に深く入る罅 奥田亡羊 墓を取り囲む杉の散らす葉に、やがて墓は埋もれてしまうだろう。人里離れたところにある墓なのだ。墓の文字が梵字で書かれており、それに深い罅が入っている。長い年月が経ち、これからも経つのだ。

④「なぜ短歌には季語がないのか」
花山多佳子〈もともと季感の伝統のある短歌だが、内容の領域が拡大するにつれて何の縛りもなく何でもありになった。季感を超えて「季語」を絶対化した俳句はそのことで私だけの世界を抜ける契機を保持しているように思う。〉
 逆に言うと、短歌は何の縛りも無く何でもありだけれど、私だけの世界を抜ける契機を持っていない、ということか。未だに私だけの世界にいるということだろうか。俳句の人の語る「季語」の重さは、時に怖い。花山もそれに近い認識を持っているようだ。

⑤連載 結社・歌誌動向「短歌の底荷」「塔」
 今月号「塔」やん。ページめくってびっくりした。
 吉川宏志〈惰性にならずに歌を作り続けるには、他者から刺激を受け、信頼できる読者に歌を読んでもらうことが大切です。(…)毎月の雑誌や歌会に自分の歌を提出し、他者の感覚に触れることにより、自分の歌を常に新鮮にしてゆくことが必要なのです。〉
 まさにこれ。自分の歌でも、自分のPCで見るのと、歌会の詠草として見るのとでは大違いだ。それを繰り返してもなかなか上手くなった気はしないんだけど。

⑥王紅花「歌壇時評」 今月号の時評では現代歌人協会の会計について疑問と意見を書いている。特にその3のお金のことは、なかなか難しいのだが、個人として王の意見に頷くところがあった。ぜひ原文で読んでほしい。

⑦王紅花「歌壇時評」〈川本千栄の評論集『キマイラ文語』は、帯に「もうやめませんか?「文語/口語」の線引き」とあるが、最近の二つの受賞作を見てから、若者の口語歌について考えてみる。偶々川本の歌を引くことになった。
満開のまだ一片も散らぬ花 生きている人は去って行く人 川本千栄
放っとけと飯だけ食わせて放っとけと河野裕子は言いくれたりき

 私の評論集の内容に触れる際に私の歌を引用していただいた。王紅花様ありがとうございます。とても励みになります!

2023.3.16.~19.Twitterより編集再掲

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