見出し画像

『短歌研究』2021年6月号

ジギタリスまつすぐ水を吸ふゆふべ読むひとだあれもゐない自分史 小黒世茂 自分史を書く人は結構多い。自分の生きてきた軌跡を人に知ってもらいたくて…。しかし読んでくれる人がそんなにいるわけではない。みんな自分の人生で忙しいのだ。歌集も自分史に少し似ている。

 このジギタリスは塚本邦雄の歌を思い浮かべずに素直に花として読めばいいと思う。

②吉川宏志「1970年代短歌史 第一回」これは!もう連載が始まった瞬間から、既に本になった日のことを想像してしまう。短歌史の新しいページが書き加えられる日がやって来た。ちょうど篠弘がカバーしていた最後の部分に被るようにして書かれ始めた。吉川以上に適任の書き手は無い。

〈国家はしばしば〈感動〉によって、国民を一つの方向に導こうとする。短歌には、そうした〈感動〉に結びつきやすい面がある。(…)そうした短歌的抒情が、戦争に利用されてしまったのである。〉戦争が終わって、みんな気づいたはずだが、平和な時代にはどうなった、ということが整理されてほしい。

〈塚本邦雄や岡井隆を中心とする前衛短歌は、短歌的な流麗なリズムを、句またがりや句割れによって破壊し、軋むような韻律を生み出した。さらに比喩や象徴的な表現により、目に見えやすい現実の背後にある、もっと大きな時代の危うさを描き出そうとしたのである。〉前衛短歌をしっかり復習して次へ。

〈急激な工業化が、人々の健康を脅かし、自然を破壊していったのである。それは短歌における自然観にも、大きな影響を与えたと考えられる。〉今の50~60代の子供時代の社会の変革、自然破壊。不思議なことだが、今まであまり指摘されてこなかった。吉川に言われて初めて、そうだよな、と思うのだ。

③吉川宏志「1970年代短歌史」〈別の角度から時代の雰囲気をとらえるために七〇年代のヒット曲から、特に印象が強いものを列記してみよう。音楽は、当時の空気を鮮明に伝えてくれる。〉この急転直下の展開。思わず笑みがもれる。そしてつい鼻歌を唄っている自分が怖い。

 短歌史というと「お勉強」になりがちなんだけど。楽しい。私も昔、サザンオールスターズの歌詞とライトヴァース短歌を比べて論を書いたことを、ここに自己宣伝しておきますね。

④雁部貞夫「もう一つの三陸大津浪」橋本徳寿の歌集をもとに昭和初期の三陸大津浪を振り返る。「うつしみのおどろきにすでになれなれて語りつつあたる人を焼く火に」〈淡々として感情の起伏を見せない客観的な描写が「人を焼く火に」よって暖をとっているという異常な光景を却って深く印象付けるのである。〉怖すぎる歌。人間の精神がすぐに鈍化することを、情景だけでさらっと描き出す。雁部の言う通り、客観的な描写だが、その強さがこうした出来事を描く時には最も適していると思う。

〈少年の日に過ごした母の故郷の石巻近郊の村々には、昭和の時代のものの他にも明治の、更にさかのぼって旧藩時代の石碑が残っていた。〉震災の記憶が重層的に積み重ねられた地。事実、経験、それらが蓄積された歴史が、声にならない感情を浮かび上がらせているのだ。

2021.7.12.~14.Twitterより編集再掲