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『塔』2023年12月号(2)

ものすごく低い1000個のハードルを並べて越えていく走らずに 吉岡昌俊 風炎集「3月のベンチ」より。とても面白い連作だった。働くことがテーマ。「ものすごく低い」でも「1000個」もあるハードルを走らず越えていく。ルーティン作業を淡々とこなす姿を思い描いた。
やり終えた事実に誉めてもらうためメモする僕のノートに僕が
矢印を無数につなぐ果てにある仕事の終わり(また始まるが)
暗い詞を明るい曲に乗せるように働くだろう昼休み後は 吉岡昌俊

 日々の仕事のしんどさ、小さな達成感、脱力感。また気力を振り絞る姿。連作の面白さを堪能。

わたくしの心の中の断層がずれてゆく午後 カンナが朱い ジャッシーいく子 心の中に地層があり断層がある。普段はおとなしくしている断層がずれていくのが感じられる時がある。そんな時、朱いカンナの花が目に沁みる。赤ではなく朱なところがカンナらしい。

石徹白(いとしろ)の杉を見にゆくこの夏の猛暑も去らんとすれば愛しい 加藤武朗 岐阜県郡上、白山信仰の地にある石徹白の地の杉を見に行った一連。杉の姿、村の姿も魅力だが、この一首の下句にも惹かれる。去らんとすれば猛暑も愛しい。他の事にも当てはまるだろう。

文字の渡って来た港見下ろして「キマイラ文語」の議論続けり 大久保明 去年の「塔」の全国大会は福岡で私の『キマイラ文語』を踏まえての議論をしていただいた。結社誌ならではの歌。ありがとうございます。福岡は文字の渡って来た港なのですね。

よく道を聞かれることと愛されることはちがって南天の花 田宮智美 見知らぬ人からよく道を聞かれる主体は、安心して話しかけられる雰囲気を湛えている。さりげない南天の花のよう。しかしそれは愛されることとは違う。自分が他人にどう映るかを少し寂しく客観視する。

ここに来い 雨に濡れたる豊島区の頬を咄嗟に撮って送った 廣野翔一 「豊島区の頬」という表現に惹かれた。何を指しているか分からないのだが。街の横顔、か。それも「咄嗟に」という、予期せぬ自分の行動。他人を呼ぶ、という行為の奥にある荒々しい感情を感じた。

ふぞろいの角砂糖はカフェラテの奥に沈んだ子はまだ来ない 吉口枝里 「沈んだ」は終止形の四句切れ。しかし二句6音の不思議な欠落感から、三句が落ち着き過ぎてしまい、そこで切って四句を読むと連体形に見えてしまう。二句で人を待つ時間が引き延ばされて感じられる。

炎熱に身を投ぐるやう凌霄花(のうぜん)の地に垂れ伏したりをはらない夏 大河原陽子 去年の夏は暑かった。いつまでも終わらないように思えた。結句にそれを思い出す。凌霄花の姿態を初句二句のように捉えた。花が身を投げ出すように咲く。赤さが暑さを象徴する。

眼を見て、と言われたけれどその穴へ降りる梯子が無いのであった 田村穂隆 相手は真剣だからこそ初句のように言った。しかしその眼窩の底へ降りる手段は無い。主体が真剣になっても相手の深部へは降りられない。物語のような結句が読んだ者の心にリフレインする。

洗えるならジャブジャブ素手で洗いたい泣いても泣いてもきれいにならない 中島奈美 心に染みのようなものがついてしまった。涙で流したいが流れてくれない。洗えるものなら取り出して素手で洗いたいぐらいだ。ジャブジャブという定番のオノマトペが却って悲しい。

仏壇に笑顔の祖父母 没後には真顔のわたしを並べてほしい 山桜桃えみ 微笑んでいる祖父母の遺影。何で笑ってるんだろう。私が死んだ後は真顔の写真を選んで、笑顔の祖先たちに並べて欲しい。まだ親も生きている内から、遺影になった自分を想像する。託すのは誰?

嘘がうまい人にはうまい人なりの苦悩あるらしケーキをほぐす 山桜桃えみ 嘘が上手い人にも苦悩があるらしい。そうは言っても、ね。上手く世渡りしてるように見えるけど。嘘が上手くない主体はケーキをばらばらにほぐす。嘘で繋ぎ合わせる人へのちょっとした抵抗。

2024.1.19.~22. Twitterより編集再掲

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