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『短歌研究』2022年8月号

母親にも感情はあり憎悪あり言わせておいて傷つく男 富田睦子 「男」は夫だろうか。母親である主体にも感情はあり、憎悪のようなマイナス感情も当然ある。それを言わせておいて、聞いて傷つく。母には聖母的な存在でしかいて欲しくない…。いつまでこの妄想は続くのか。

苦しいと言う事すらも非難され子は永遠に母の人質 富田睦子 母は常に喜んで、子に接しなければならない。子育てが辛いとか苦しいとか言う事は許されない。そんなこと言ったら子が可哀想じゃないか。子が聞いたらどう思うと思ってるのか。子は母の感情の人質に取られているのだ。

③「特集 短歌ブーム①パート2」
スケザネ〈ノーベル文学賞を取ったルイーズ・グリュックというアメリカの詩人が、詩というのは計算高さや起承転結の構築力によって出来上がるものではないのだ、と書いていました。詩の心のようなものに従って書いていくと、やがて自分でも統御できない何かが入り込んでくる、そこで自分にも気づけなかったものに出会えるのが私の思う詩だ、ということを書いています。〉
 とても共感できる話だ。短歌でも、作者がコントロールできた時点で、それは詩性を失うのだろうなあ。

④「特集 短歌ブーム②論考4」
山田航〈近現代の雑誌記事の索引からみるかぎり、短歌の索引数が多い時期は、短歌が国家的なプロパガンダの道具として用いられているか、マイノリティの日常記録の資料として注目されているかのどちらかという傾向にあるようだ。純粋に文学としての短歌が注目されたのは、大正時代が最後なのかもしれない。〉
 数的な資料を元に冷静な考察がされている。現象に切り込む鋭さにも興味を引かれた。

⑤「特集 短歌ブーム④書店員アンケート」
梅崎実奈さん〈作品そのものの文体が変化し、一読で意味がわかりやすい、かつ内容的にもエモーショナルな短歌が増えた(投稿欄出身の歌人だと、連作にあるような「地の歌」が減少する傾向もある。〉
 現場の書店員さんの話は臨場感がある。かつ、(  )内のような、かなり突っ込んだ問題意識が提示されており、引きつけられた。「地の歌」が減ることは、連作としての作品力の衰えに繋がると思った。

⑥吉川宏志「1970年代短歌史 馬場あき子『鬼の研究』の登場」
〈『鬼の研究』は非常に多面的な書物なので、核心を一つに絞ることは難しいが、私の理解では、人間は〈型〉によって世界を認識しているが、その〈型〉によってかえって覆い隠されてしまうものがある、だから、〈型〉の奥にあるものを見つめることが重要なのだ、という理路に、思想としてのみずみずしさが存在しているように感じられる。〉
 元の文章を読んでいないが、惹きつけられてしまう。特に、人間は〈型〉によって世界を認識している、というところ。

⑦吉川宏志〈西欧的な論理で割り切れない人間の情の部分をむしろ肯定する思想として、小高賢は『鬼の研究』に希望を見いだしたのであった。〉70年代の思想は今よりはるかに「西欧的論理」で占められていたのではなかったか。子供の世界でも西欧はカッコよく、日本はダサかった。

⑧吉川宏志〈女性を束縛し「非力な美しさ」として生きるように強制している世界が、女の鬼を生み出したのだ、と馬場は言っている。ほんのわずかだけ規範を超えただけなのに「目に見えぬ圧力」を加えられ、鬼になるしかないところまで追いつめられることもあった。〉
 昔の話ではない。これは読まなければ…というより読みたい。

⑨安田登「偽りのなき世なりけり」
〈たとえば一人の人が「今日の地震ね」と言ったら、相手の人が「大きかったよね」と言う。「今日の地震、大きかったね」という文章をふたりで完成させる。こういう会話の仕方を「共話」といいます。〉
 日常会話ってほとんど「共話」だなと思った。

2022.8.21.~22.Twitterより編集再掲