『うた新聞』2022年1月号
①大辻隆弘「言いさしの「の」」
音楽にあふれて歩む鴨川の、ようやく気持ちが追いついてくる 阿波野巧也
〈評者の染野が序詞的な「の」の例として挙げているのは、このような歌である。〉大辻は染野太朗の説を紹介し、確かに阿波野の「の」は序詞に似ている、と述べる。
大辻は続いて阿波野の「の」の下の「、」(読点)に注目し、これを言いさしの「の」と位置づける。〈話している途中で、関連する想念がふっと意識の上に浮かびあがる。その時のリアルな心の感触を阿波野は、この言いさしの「の」で捉えようとしているのだ。〉ここまでの論の運びもとても巧みだ。
しかし何と言っても面白いのはこうした言いさしの「の」の源泉を、80年代の岡井隆に求めたところだろう。大辻の広く深い知識が存分に表れた文と思う。読んだ者が「の」について語りたくなる、刺激的な文だ。
やや遠く熱源生るる家内(いへぬち)の、いまさらどうしやうもないさ、さみだれ 岡井隆
②中森舞「百年、生きる」〈造り酒屋の長女として育った彼女は、父が生まれる頃、すでに嫁いでいたそうだ。彼女と五つ下の妹は、父が生まれるまでに何人もの兄弟姉妹を見送ったという。〉年の離れた伯母さまとのエピソード。こういう昔の人を描いたエッセイ、いいな。
③小島熱子「短歌トラベラー!ポルトガル」〈モンサラスはスペインとの国境に近い小高い丘の上の町だった。急坂を登りつめた石畳みの町は、時間が停まり、人の気配が全くなく何か取り残された雰囲気で、小さな広場には簡素な鐘楼があった。〉ポルトガルは一度絶対行きたい国。
〈不意に現在只今、私は存在しているのかどうか危うくなり、現実と断絶した。夢の中の一場面のような感覚に襲われた。〉旅ではよくある感覚かも知れない。旅に出たくなるなあ。
夏の日がしんと満ちゐしモンサラスわが存在の揺らぎし町よ 小島熱子
2022.2.18.Twitterより編集再掲