『水甕』2023年4月号創刊110年記念号
①創刊110年おめでとうございます!一世紀以上ということだ。凄い。結社の記念号発行が続いている。
「種を播こう」春日いづみ
〈全国に互いの作品を読みあう仲間がいます。一度も会ったことも手紙を交わしたこともないのに、何年も何十年も作品を読みあっている仲間の存在、心を分かち合う相手が存在する。この営々とした時間の積み重ねの末、創刊一一〇年の節目を迎えました。〉
この一度も会ったことがないのに、何年も何十年も作品を読みあっている仲間の存在、というのが結社の魅力の一つだと思う。
②吉川宏志「自然と主観の問題」
〈いわゆる「客観写生」は、「自然」を観察する対象として見ることになる。それももちろん「自然を生かさう」とする態度の一つである。しかしその方法では、「自己」と「自然」が分離してしまう。二元化されるわけである。 そうではなくて、「自己」と「自然」を融合させる道はないのか。ここに近藤哲夫の問題意識はあったのである。 (引用略) 後年になり、斎藤茂吉も同じような思考をして、「実相に観入して自然・自己一元の生を写す。これが短歌上の写生である。」という有名なテーゼを確立している。近藤が、その十五年も前に、よく似たテーマについて考えていたことに驚かされるのだ。〉
『水甕』創刊当時の同人、近藤(後の哲学者・佐竹)哲夫についての論。斎藤茂吉に先んじて茂吉と近い思考をしていた、という事実に驚く。まだまだ短歌史には語るべき歌人が多くいる。
③吉川宏志
〈「自然」と「自己」の融合には、危険な面も含まれていて、戦争の時代になると、国土と自己が一体化するような歌が盛んに作られるようになる。(…)だが、そうした危うさをはらみつつも、人間は「自然」と一つになろうとする夢を忘れられないのかもしれない。小さな個の孤独の中に閉じ込められた状態では、人間は生きる喜びを味わうことができないからである。〉
各人の考える「自然」と「自己」の定義には少しずつ差異があると思うのだが、ここで吉川の言うことは納得できる。論の後半の自分と他者の主観の繋がりのところも面白かった。
④前田宏「柴舟の孤高の思索性」
〈周知の範囲では、在学中の柴舟がのめり込んだのは、教授の落合直文に導かれた新しい和歌であり、「明星」のハイネ紹介に触発されたと思われるハイネの詩の翻訳であった。(…)柴舟が「明星」にハイネが採り上げられる以前にハイネを知っていた可能性はある。〉
〈『銀鈴』を上梓する前三年間の柴舟は翻訳詩集『ハイネノ詩』がベストセラーになり、与謝野鉄幹に乞われて「明星」に翻訳詩を寄せていた。〉
柴舟とハイネの関連や、柴舟訳のハイネの詩集がベストセラーになっていたとは知らなかった。
⑤この後、前田は柴舟の歌集『銀鈴』から『静夜』への思想的推移について、さらに『日記の端より』に至る変化を述べる。
〈この作風転換が柴舟自身の言う「美から真へ」の転換である。このことは「明星」浪漫主義から自然主義への転換と判りやすい言い方で捉えられているが、その内実は抽象から具体へと表現手法を変えることで、自己の生の葛藤を伝わりやすくしたいという思いだったのではないか。〉
その逆の変化もあるが、これは割と現代にも通じる話だ。
尾上柴舟というビッグネームであっても近代歌人のことをあまり深く知らないということを痛感した。
⑥これはちょっとびっくりしたことなのだが、前田宏の論で柴舟が〈門下の前田夕暮、若山牧水に『みだれ髪』の影響を抜く指導をしている〉という一節があり、一体それは具体的にはどんな指導なのかと思わず興味を引かれてしまった。
2023.5.16.~17. Twitterより編集再掲