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『塔』2024年12月号(3)
㉕雷雨止む寄るべない夜イヤホンを砂に沈めるように埋(うず)める 中森舞 今まで耳に雷雨の音が響いていたのに、ふとそれが途絶えた。耳が宙に漂う気分。イヤホンを耳に「埋める」と捉えた。確かにあれは埋める動作だ。さらに自らの耳を茫漠とした「砂」に喩えている。
㉖アンタレスざわざわ光る真夜中の匙をいくつも溺れさせたり 空岡邦昂 火星の敵、赤く光るアンタレスには「ざわざわ」というオノマトペが良く似合う。匙を使ってかき回すタイプの飲み物を何杯も飲んだということだろうが、匙を溺れさせる、が上句と響き合って魅力的。
㉗夜も匂ふ葛の断崖(きりぎし) 逢ふ人と逢ふべき人はいつも違つた 空岡邦昂 葛が繁茂しているところを断崖と捉えた。葡萄のような香りが夜もする。上句の景が嗅覚を通して、下句と絶妙なバランスを保つ。下句は人間関係の不全を「べき」だけで巧みに描き出している。
㉘羽をもつものも歩いて世界ぢゆう銀杏並木であればいいのに 空岡邦昂 銀杏並木が金色に色づいた街路の下では、いつも飛ぶものも静かに歩いている。それは鳥か、あるいは天使の類か。主体もその下を歩きながら、どこまでも並木が続いて欲しいと思っている。
㉙暮らすなら余白の多い本のなか恋の余熱でパンなど焼いて 吉村のぞみ 本の中で暮らすという発想が楽しい。余白の多い本は歌集だろうか。余白には恋の余熱が残る。それでパンを焼いたりして暮らしたい。普通の料理と違って、パン作りには少し余裕が感じられる。
㉚背表紙に樹皮のごとくに守られて詩歌は桃よりやわらかい 吉村のぞみ 詩歌が生きて呼吸をしているようだ。その手触りは桃のようで桃より柔らかい。その柔らかい本質を包む背表紙が樹皮に喩えられている。詩歌とは何か、を体感を以て伝えてくれる一首。
㉛わたくしの体の一部であるようなものをなおるていどに傷つける 星亜衣子 三句以下の表現に屈折を感じる。自分の身体の一部を身体とは認識できない、とも取れるし、繋がりの深い他者を傷つける、とも取れる。治る程度だから、致命傷を与えるのではないが確信犯なのだ。
㉜どんな水にもうつりこむ月となりあなたに汲まれつづけてゐたい 藤田ゆき乃 自然界の水にしろ人間の生活に使う水にしろ、大きさに関わらず月は映る。あなたが水を汲む時にいつもその面に映っていたい。「うつりこむ」という語は最近の用法だが、下句には浪漫性がある。
㉝ため息を抑える治療 イヤホンを点滴のごと耳にさす朝 栃木佳乃子 イヤホンを装着することが、ため息を抑える「治療」だという発想が面白い。医療つながりで点滴という語が出て来た。耳に一滴ずつ音楽をさす。耳に液体をさすのは「ハムレット」を連想して少し不吉だ。
㉞知らなかった愛していないという痛みがあるということ カレーを作る 潮未咲 愛している痛み、憎む痛み、ならよくあるが、愛していないも痛みなのだ。特に愛していたものに対して愛が無くなったことは痛みだろう。6・8・6・7・7、重めの上句から日常のカレーへの転回。
㉟口約束するたび口から朝顔が咲いて風に吹かれている 潮未咲 マンガの吹き出しのように口から朝顔が出てくる。そして風に吹かれている。空虚な口約束の視覚化だ。6・8・5・6・6という不安定な韻律も内容と合っている。「朝顔」が上句下句の要となっている。
㊱「会員アンケート 今年の三冊」龍田裕子様に、川本千栄『裸眼』を三冊中の一冊としてあげていただきました。龍田様ありがとうございます。光栄です!
2025.2.8.~10. Twitterより編集再掲