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『ねむらない樹』vol.6 2021年2月(2)

⑧黒瀬珂瀾「自伝的エッセイ」〈当時まだ「ボーイズラブ」という言葉はなくて「やおい」と称されていて、(…)女性作者自身がミソジニー性を表現してたりね。〉「やおい」の前は「少年愛」と言ってた。個人的にはミソジニーとは違うと思う。短歌にも繋がる話ということかな。

〈三宅千代先生が春日井建先生に手紙をかいてくれた。それで僕は「中部短歌会」に入ったわけです。今とちがって学生短歌会とか全然見つけられなかったんですね。〉短歌に繋がるのが難しい時代は長かった。いつからいつまでか正確には分からないが。学生短歌会は見つけられないのか無かったのか。

〈短歌は愛とか優しさとか共感を詠んだものがもちろん多いですが、しかし苦悩や憎しみ、怒り、邪念、裏切りこそが歌の根底にはあるのではないか。人間最後に残るのはやはり怨念ですよ。〉同意。あと悲しみとか孤独とか、もろもろ。

⑨黒瀬珂瀾「自伝的エッセイ」〈ゼロ年代中盤は結社とネットの端境期で、若手が一斉に同人誌を作り出した頃でもあります。「塔」の人たちの「豊作」とか「ダーツ」とか。〉あ、「ダーツ」に言及いただきありがとうございます。その辺りの時代の総括がそろそろ必要な時期ですね。

〈今の時代は大きなイベントではなく、創作と対話の小さな場をいくつも作ってゆくのが地方の文化や短歌活動には大切でしょうね。〉コロナが終息したら、体温が伝わるような小さなイベントに参加したい。人との対話に飢えてる実感がわれながらある。今日行った「泥書房」ぐらいのスペースがいいな。

⑩笠木拓「佐藤弓生さまへ」〈山中智恵子の高名な〈鳥髪〉のように、土地の名前自体が呪術や祈りになることの不思議を思います。〉和歌が短歌になる過程で一度歌枕が無化されたはずなのに、やはり時間が経つと「歌枕」的な地名が出て来るのだなあ。土地の持つ力だろうか。

⑪「二〇二〇年の収穫」歌集3冊のアンケートだが、『短歌研究』2020年9月号時評での佐佐木定綱の驚きと真逆な現象が起こっている。真逆と言うか同じと言うか。世代ごとに選ぶ歌集が輪切りに近い状況では?佐佐木の時評への感想も再掲。

2021.3.6.~7.Twitterより編集再掲