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課金しなきゃならない教育

綾野つづみさんの記事を読んだ↓

いやぁー塾ね。うちも課金しました。

小学三年生から塾に通い始めた息子。これは私が行きなさいと言ったわけではない。ある日、息子が「算数がわからない」と言い出したのがきっかけだった。大勢がいる教室で先生に聞くのは躊躇われ、放課後先生に聞きに行くほどの勤勉さはなかった。そこで、塾に行けばそこの先生が教えてくれるよと言ったら「行きたい」というので、親の塾課金がスタートした。

うちは中学受験をしたので、4年生から小規模で受験対策が出来る塾に移った。5年生、6年生の時は、ハワイにビジネスクラスで行けるほどのお金が飛んでいった。

塾に通うだとか中学受験するだとかは、住んでいる地域性でかなり違ってくるというのは、同級生のママからの情報だった。私が育った田舎では小学生から塾に通っている子は殆どなく、習い事でピアノ、習字、ソロバンがメインだった。中学に入るとポツポツ親が意識高い系家庭は塾に行っていた。私はというと中三の一年間だけ、昔、学校の先生だったというお爺ちゃん先生のお家寺子屋のような塾に行っていた。先生の家の離れの二階がその塾で、一階には一頭牛がいた。今から考えると先生の家には牛を放牧するようなところはなかったのに、あの牛をどうやって世話していたのかわからないし、大きくなった牛は肉になるのか乳牛なのかさえ知らなかった。良く言えばアットホームな塾だった。

私が子供の頃の田舎では、息子達のように中高一貫教育で私立へなどというパターンは皆無であった。高校も大半が公立へ行き、私立は滑り止めでどちからというと偏差値が公立に届かない子が行くものであったので、東京に来て子育てをしながら色々なギャップについて行くのが大変だった。

私の場合、息子の中学受験を考えたのは、高尚な理由からではなかった。息子は新しい事や物が苦手だったので、中学三年後にまた新しい環境の高校はキツイかもしれないと思ったからだった。中高一貫ならば六年間は同じ環境で暮らしていける。それと同級生ママからの情報によると、中学受験は100パー勉強の良し悪しで決まるが、高校は内申が絡んでくるので、めんどくさいよという話だった。総合的に考えて中高一貫がベストだろうという、どちらかと言えば甘やかした考えによるものだった。最終判断は息子に任せた。

この塾制度、中国、韓国、日本では盛んだが、夫の国ドイツではほぼない。なので当初、夫が日本の塾制度おかしない?と言う度に

わかっとるわぁー。でも息子は渦中におるねん。制度が悪いから変えましょうなんてやってる暇ないんだわ💢

と答え、課金に次ぐ課金を続けた。息子の小学校の同級生通塾率は、90%以上、中高一貫に進む率も大変に高かった。塾に通ってやっと平均の息子が、塾を辞めることは出来なかった。

こういったマネーパワーで解決できる問題は、親が支払い能力があるかどうかで変わってくる。綾野さんの記事のように、課金制度に支えられている教育は不公平なものである。

これらは一重に入試制度の問題ではなかろうかと思っている。中学受験などの入試問題を見ると、塾に行っていなければ不可能とも思える難題が並ぶ。ある意味テクニックのようなスキルが必要になってくるのだ。外国の大学は入るより、卒業するのが難しい。日本は、入ってしまえば余程怠けない限り卒業できるだろう。こういった教育制度がより塾産業の発展に貢献しているように思う。

本来であれば、全力で遊ぶ時代に通塾せねばならない教育はおかしい。ただ渦中にいると、おかしくても大半がそうであるので、この波に乗らなければ落ちこぼれてしまうといった親の焦りで課金を続けてしまう。そして大学に入ってしまえば、そのおかしさを正していこうという気力は残っていない。これが連鎖して現在の課金教育が一向に見直されない。喉元過ぎればなんとかだ。

大学に入れば流石に塾に課金はないだろうが、大学自体に課金を続けなければならないので、短くてあと四年、もしも院に行きたいと言われたらあと六年の支払いが待っている。白い目や遠い目になりながらがんばるしかない。

誰かー
変えてー
課金しなくて良いようにしてー

と、どこまでも誰かがやってくれるのを待つスタイルだと、このまま課金教育は続いていくのだろう。非常に無力を痛感して辛い。



※イラストお借りしました。documentallyさん、ありがとうございます。



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