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まだよく知らない

 梅崎春生をまだよく知らない。

 「戦後派の小説家のひとりで」とか、「酒で身をもち崩して早逝して」という解説や逸話はいくつか知っている。けれど、作品を通してどのような表現をしたかったか、どのような思想を持っていたのかなどについてはまだよく知らない。というのも、単純に作品をまだよく読みこんでいないのだ。

 ただ、何かしら惹かれるものがあるということ、だからもっと多くの作品を出来るだけ深く読みたい、ということ、そしていくつかの作品を読み齧るなかで感じたことはいくつかある。

 最近刊行された『怠惰の美徳』というエッセイ集のタイトルが示すように、またそこに収められた作品の内容からもわかるように、梅崎春生は頑固なまでに、自ら怠惰を標榜し自堕落を体現する。わたしが梅崎の作品に惹かれるのは、その怠惰と自堕落の底に流れる毒のような妖しく危うい能動性、つまり何かに対する「抵抗」を強く感じるからだ。

 梅崎の怠惰は決して、何かを放棄するためのものではない。戦争と戦争の間を縫うように生きた、時代に翻弄された人生の中で、なかば堕落を強いられるような世の中で、彼は一見それに降伏しているように見せかけて、実は最後の一手を隠し持っていた。そしてそれは言うまでもなく文学という名の抵抗である。気怠い閉塞感に苛まれ、諦めのポーズをとりながら、確実に懐に隠し持ち育てていった社会と人間を見透かしてしまうほどの観察力。抵抗としての怠惰、それが梅崎春生の文学であると思う。まあ、まだまだ読んでいない作品はたくさんあるんですが。
 でも、たとえば「一時期」という短編ひとつを読むだけでも、怠惰の奥底に燃えるような抵抗力が横たわっている恐ろしさがはっきりと感じられる。

 だからこそ、梅崎春生をもっと知りたい。

 ところで、「まだよく知らない」状態というのはいいものだと思う。そこからたくさんのことを知って好きになるのか、はたまた逆なのか、知らないままに興味を失っていくのか、結果のいかんに関わらず、「まだよく知らない」状態は長くは続かない。だから、あまり取り上げられもしない。「よく知っている」ことが求められる評論や解説にはもちろん登場しないし、年をとって大人と呼ばれるようになると「知らない」と臆面なく言える場面は減っていく。だからこそ、この過ぎ去りゆく状態を書けるのはブログのいいところだなと思う。

 「まだよく知らない」ものが、あなたにはありますか。(2024.11.12)


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