本記事はコロナ禍における日本とドイツの対応差異について論じ、「ドイツでできることが何故日本ではできないのか」について考察するものです。
AnimagiCについて
2022年8月5~7日、ヨーロッパ最大のアニメコンベンション「AnimagiC」がドイツのマンハイムにて開催されました。コロナ禍のため3年ぶりの開催とのことです。
当方は「AnimagiC」自体にはあまり詳しくないのですが、上記公式ページ(ドイツ語)を見るとドイツ語が読めなくとも日本発アニメ関連の扱いがとても大きいことが分かります。
このイベントのことやドイツにおけるコロナをめぐる情勢について、株式会社ハートカンパニーの斎藤滋社長がvoicy放送「音楽熱想」にて現地での実感とともに語られています。
ドイツにおけるコロナ禍をめぐる現状について
以下、「音楽熱想」放送より箇条書きにて。
(放送と文言忠実ではありませんが、文意は変えておりません。これはこれ以降の記載についても同様です)
ライブステージ観覧の様子について
日本とドイツ、感染状況比較
これをお読みになって、皆様はいかが感じられましたか?
「だって日本じゃ感染者数が激増してるんだからしょうがないじゃないか」と、貴方はそう仰るかもしれません。
じゃ、数字を見てみましょう。
感染者数比較(8/5時点)
日本 :13,851,692 人(人口およそ125,600,000 人)
ドイツ:31,228,314 人(人口およそ 83,900,000 人)
まぁ数字を見れば、ドイツの方が日本の倍以上の感染者数だったりするわけです。
つまり「感染者数が増えているからというのはイベントにおける歓声NGなどの制約を課す理由にはなってない」ってことでいいですよね?
では、
ドイツでできることが何故日本ではできないのか
っていう表題のテーマに立ち戻って考えてみましょう。
民族性の違いとか国家としての取り組みの違いと言ってしまえばそれまでなのですが、本記事ではそこをより深掘りしていきたいと思います。
以下、日本経済新聞サイト(2022年3月19日)より引用します。
なるほど、このような考えであれば、斎藤滋さんが現地で実感されたような情勢であることが納得できます。しかしそれは、どのような考え方が根底にあるものなのでしょうか。同記事から再び引用します。
コロナ禍は相変わらず猛威を振るい続けていますが、重症化率の低下については我が国でも多く指摘されているところであると思われます。特にここで重要なのは、「ワクチンを接種しようとしない一部の人々を守るために、国全体をシールドの下に置くことはできない」という割り切りにあると言えましょう。これを国の政府が言い切れるかどうかというのは大きなポイントであると思います。
我が国でもこれについては一部うなづける部分がありますね。本年7月以降において再び新規感染者数が急増していきましたが、これに対して我が国の政府は以前に出した「緊急事態宣言」などという世紀の愚策を繰り返すことはしませんでした。つまりコロナ感染対策は各個人の任意であると国が態度で示したということ。賛否はありましょうが、私的にはこれについてはとても高く評価しています。
ドイツにおける政府の方針は分かったのですが、実際の生活感覚の違いとしてはどうなのか。これについては、ドイツ出身のコラムニスト、サンドラ・ヘフェリン氏が東洋経済ONLINEにて書かれたコラムから引いてみたいと思います。氏は日本でも長年暮らしているとのことなので、両国の差異についてより確かな目線から見ておられるかと思います。
このあたりは、斎藤滋さんのお話と一致しますね。
店舗のスタンスについて。日本とはだいぶ様相が異なるのが分かります。
店舗のみならず、国民性の違いもそこには見てとれます。
うーん、いやでもそこはね、ちょっと考えてしまうのですよ。
その「同調圧力」っていうのが、日本においてはしばしばドイツにおける法律以上の効果を発揮したりします。これは日本人なら誰もが肌で感じていることでしょう。つい先日も皇居周りをマラソンしている人を見ましたが、いまでも何名かのランナーがマスクをしたまま走っていました。「屋外で会話がない場合は、マスクをしなくてもよい」と言われても、周囲がその空気にならない限り自分ひとりがマスクを外すわけにはいかない。それが日本人の平均的な思考であり生活様式になってしまっていると思います。
そしてこのような「同調圧力」が日常生活のみならず、ライブやイベントといった本来非日常であるはずの空間にまで影響を及ぼしてしまうということが問題なのですよ。
これ先日、私のnoteでも書いたのですが。
2022年7月9日、真っ白なキャンバスというアイドルグループが山梨県にある河口湖ステラシアターという野外音楽堂にて「コール&レスポンスOK」のライブを敢行したのです。
これについて茅原実里さんが動画で紹介されているのですが、そこから引用させていただきますと…。
皆さん聞きましたか(見ましたか)?
歓声ありのライブは政府が定めるルールや基準をしっかり守れば開催してもOKなんですって。
じゃあそれを阻んでいる「いろんな事情」っていったい何なわけよ?
私はこれについて先のnote記事で次のように書きました。
そういうことなんじゃないの。
ドイツでできることが何故日本ではできないのか。
感染者数ガーとか政府ガーとかじゃなくてさ。
そういうことなんじゃないの。
周囲の目。
世間体。
同調圧力。
こうしたことが積もり重なって、本来できるはずのことをできなくしてるのが我が国日本なんじゃないんですか!?
そうしたことが原因となって「解散してしまうグループも増えている」のだとしたら、彼ら彼女らの夢を、希望を、活動を奪ったその責任はいったい誰が取るのかって話ですよ。
民族性の違いとか国家としての取り組みの違いじゃ済まされないでしょう。それは。
今後の我が国におけるエンタメ業界における危惧
ちょっとヒートアップしましたところで、再び斎藤滋さんの「音楽熱想」に話を戻します。
斎藤滋さんは「コンサートっていうのはお客さんとアーティストとでつくるもの」ということを力説されたうえで、今後の我が国におけるエンタメ業界について以下のように発言されました。
少し長い引用になってしまいましたが、言ってることめちゃめちゃ共感します。特にスポーツ選手の練習云々のくだりは多くの方にとって分かりやすい例えなのではないかと感じました。
いま現在の自分たちのことだけじゃなくてさ。考えなきゃいけないですよ。
未来のこと。
様々な業界のこと。
世界の中における日本のこと。
そこまで視線を巡らせたとき、私たちがいま現在従っている有形無形の掟は本当に正しいものだと胸を張って言うことができますか。
私たちはなにかに遠慮しているうちに、もしかしたらもう二度と元には戻せない大切なものを失おうとしているのかもしれませんよ?
言いたいことは言い尽くしましたので今回の記事はここまでとします。
「ドイツでできることが何故日本ではできないのか」
皆様のご意見もお聞かせくださりましたら幸いです。
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