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ドイツでできることが何故日本ではできないのか~音楽熱想での「AnimagiC」現地レポートを聴いて思ったこと
本記事はコロナ禍における日本とドイツの対応差異について論じ、「ドイツでできることが何故日本ではできないのか」について考察するものです。
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AnimagiCについて
2022年8月5~7日、ヨーロッパ最大のアニメコンベンション「AnimagiC」がドイツのマンハイムにて開催されました。コロナ禍のため3年ぶりの開催とのことです。
当方は「AnimagiC」自体にはあまり詳しくないのですが、上記公式ページ(ドイツ語)を見るとドイツ語が読めなくとも日本発アニメ関連の扱いがとても大きいことが分かります。
このイベントのことやドイツにおけるコロナをめぐる情勢について、株式会社ハートカンパニーの斎藤滋社長がvoicy放送「音楽熱想」にて現地での実感とともに語られています。
ドイツにおけるコロナ禍をめぐる現状について
以下、「音楽熱想」放送より箇条書きにて。
(放送と文言忠実ではありませんが、文意は変えておりません。これはこれ以降の記載についても同様です)
・ドイツではコロナ的な制限というのはもうほぼない状態
・日本からドイツに行くにあたってのワクチン接種証明書とか陰性証明書とかは不要
・ドイツ国内でのマスクしてるしてないってところでいうと、体感的には9割5分以上の人がマスクをしていないという状況
・「電車とかバスではマスクは着けなさい」ということ。それ以外の場所ではマスクなしでいいよ、ということになってるというお話だった
・「ソーシャルディスタンスを守ろう」という標識は残ったりするんだけど、実際意識的に距離を取るぞとか、そういうふうにやってるムードはない
・レストランも普通に席を空けて、とかはなくて「詰めて座ってください」という感じ
・お店とかもそんなに制限してなかった(一部の店舗では「中に入れる人数が20人まで」というふうに人数制限しているお店もあった)
ライブステージ観覧の様子について
・声は普通に「Yeahhhh!!」とか「Whoooo!!」とか「Hyuuuu!!」とか、アーティストの名前を連呼するとか、そういうことを普通にしている状態
・アーティストの側もお客様の声を受けて、さらに自分たちのパフォーマンスのボルテージを高めていくっていう、アーティストとお客さんで一緒にライブを作っていく感じがすごくしていた
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日本とドイツ、感染状況比較
これをお読みになって、皆様はいかが感じられましたか?
「だって日本じゃ感染者数が激増してるんだからしょうがないじゃないか」と、貴方はそう仰るかもしれません。
じゃ、数字を見てみましょう。
感染者数比較(8/5時点)
日本 :13,851,692 人(人口およそ125,600,000 人)
ドイツ:31,228,314 人(人口およそ 83,900,000 人)
データ:
感染者数については日本船主協会提供のExcelデータより。
https://www.jsanet.or.jp/covid-19/index.html
人口についてはWHO(世界保健機関)およびUNFPA(国連人口基金)の統計資料に基づく人口ランキングより。
https://memorva.jp/ranking/unfpa/who_whs_population.php
まぁ数字を見れば、ドイツの方が日本の倍以上の感染者数だったりするわけです。
つまり「感染者数が増えているからというのはイベントにおける歓声NGなどの制約を課す理由にはなってない」ってことでいいですよね?
では、
ドイツでできることが何故日本ではできないのか
っていう表題のテーマに立ち戻って考えてみましょう。
民族性の違いとか国家としての取り組みの違いと言ってしまえばそれまでなのですが、本記事ではそこをより深掘りしていきたいと思います。
以下、日本経済新聞サイト(2022年3月19日)より引用します。
ドイツは18日、新型コロナウイルス感染対策の行動規制をほぼ撤廃することを決めた。ワクチン接種が進み、死者や重症者がこれまでのように増えていないためだ。英国も同日から水際対策を全てなくした。欧州を中心に新型コロナを通常の風邪と同じように扱う動きが広がっている。
なるほど、このような考えであれば、斎藤滋さんが現地で実感されたような情勢であることが納得できます。しかしそれは、どのような考え方が根底にあるものなのでしょうか。同記事から再び引用します。
ドイツの1日あたりの感染者数は約30万人と過去最多水準だが、重症化率はこれまでのように高くない。AP通信によると、ラウターバッハ保健相は「ワクチンを接種しようとしない一部の人々を守るために、国全体をシールドの下に置くことはできない」と述べ、コロナとの共生を模索する考えを示した。
コロナ禍は相変わらず猛威を振るい続けていますが、重症化率の低下については我が国でも多く指摘されているところであると思われます。特にここで重要なのは、「ワクチンを接種しようとしない一部の人々を守るために、国全体をシールドの下に置くことはできない」という割り切りにあると言えましょう。これを国の政府が言い切れるかどうかというのは大きなポイントであると思います。
我が国でもこれについては一部うなづける部分がありますね。本年7月以降において再び新規感染者数が急増していきましたが、これに対して我が国の政府は以前に出した「緊急事態宣言」などという世紀の愚策を繰り返すことはしませんでした。つまりコロナ感染対策は各個人の任意であると国が態度で示したということ。賛否はありましょうが、私的にはこれについてはとても高く評価しています。
ドイツにおける政府の方針は分かったのですが、実際の生活感覚の違いとしてはどうなのか。これについては、ドイツ出身のコラムニスト、サンドラ・ヘフェリン氏が東洋経済ONLINEにて書かれたコラムから引いてみたいと思います。氏は日本でも長年暮らしているとのことなので、両国の差異についてより確かな目線から見ておられるかと思います。
筆者は「日本のマスクの常識」が身に染みついています。そのためドイツ流のマスクのつけ方について、疑問に思ってしまいました。ほとんど会話のないバスや電車の中でFFP2マスクの着用が義務づけられている一方で、カフェやレストランなどの飲食店に足を踏み入れると、誰もマスクをしておらず大きな声で話しています。
このあたりは、斎藤滋さんのお話と一致しますね。
マスクを着用することを不自由だと感じている人が多いためドイツではマスクを嫌がる人が多いのですが、それを察してか、ある老舗の飲食店のホームページには、「お客さんも従業員も引き続きマスクをしても構いません。マスクをしていても、マスクをしていなくても、どんなお客さんもウエルカムです」と記載されています。
店舗のスタンスについて。日本とはだいぶ様相が異なるのが分かります。
日本では先日政府が「屋外で会話がない場合は、マスクをしなくてもよい」と発表しました。それでも道を歩いていると、マスクを着けている人が目立ちます。日本には昔も今も「マスクをしないと罰金を支払わなくてはいけない」という法律はありません。それにもかかわらず、今に至るまでマスクをしている日本人は多いのです。マスクを「不自由さのシンボル」のように考えている欧州人からすると不思議な光景に映ります。
(中略)
一昨年と昨年は中止になった世界最大規模であるミュンヘンのビール祭り「オクトーバーフェスト」も今年は3年ぶりに開催されることが決まりました。ビールを飲んで、ベンチの上に立って歌ったり踊ったりする人々がマスクをするとはまず考えられませんから、今年の9月と10月には何万人もの人がノーマスクで酒を飲みながら大騒ぎするわけです。これが良いか悪いかは別として、「日本とはコロナに関する認識がかなり違う」のは確かです。
店舗のみならず、国民性の違いもそこには見てとれます。
ドイツと日本を比べ、どちらのほうが自由なのかを考えましたが、よくわからなくなってしまいました。ドイツでは公共交通機関以外では、マスク着用の義務はありません。しかし、それはあくまでも現時点の話です。一昨年はマスクをしないと罰金を支払わないといけない時期がありましたし、夜間が外出禁止だった時期もありました。
(中略)
日本のように同調圧力があるからマスクをせざるをえない雰囲気のほうが不自由なのか、それとも欧州のように、禁止項目を増やして違反した者を法律で厳しく取り締まるほうが不自由なのか。筆者は後者のほうが不自由だと思います。日本には同調圧力があるとはいえ、「国から押さえつけられている」わけではないのですから、コロナ禍においては日本ほど自由な国もないと思うのです。
うーん、いやでもそこはね、ちょっと考えてしまうのですよ。
その「同調圧力」っていうのが、日本においてはしばしばドイツにおける法律以上の効果を発揮したりします。これは日本人なら誰もが肌で感じていることでしょう。つい先日も皇居周りをマラソンしている人を見ましたが、いまでも何名かのランナーがマスクをしたまま走っていました。「屋外で会話がない場合は、マスクをしなくてもよい」と言われても、周囲がその空気にならない限り自分ひとりがマスクを外すわけにはいかない。それが日本人の平均的な思考であり生活様式になってしまっていると思います。
そしてこのような「同調圧力」が日常生活のみならず、ライブやイベントといった本来非日常であるはずの空間にまで影響を及ぼしてしまうということが問題なのですよ。
これ先日、私のnoteでも書いたのですが。
2022年7月9日、真っ白なキャンバスというアイドルグループが山梨県にある河口湖ステラシアターという野外音楽堂にて「コール&レスポンスOK」のライブを敢行したのです。
これについて茅原実里さんが動画で紹介されているのですが、そこから引用させていただきますと…。
このライブで白キャンさんは約2年4か月ぶりにコールアンドレスポンスを解禁するんだって
コロナ禍になってからライブアイドル業界も苦しい時期が続いていて
解散してしまうグループも増えているそう…
でも、このまま傍観していては何も変わらない!という気持ちで
コールアンドレスポンスを解禁してライブすることを決断したんだって
歓声ありのライブは政府が定めるルールや基準をしっかり守れば開催してもOKらしいんだけど
実際はいろんな事情でなかなか実現していないらしい
今回はステラシアターさんと検討を重ね、開催地の山梨県にも相談して
たくさんの方の理解を得ながら時間をかけて準備してきたそうです
業界的にも大きな一歩を踏み出す白キャンさんにエールを送りたい!
皆さん聞きましたか(見ましたか)?
歓声ありのライブは政府が定めるルールや基準をしっかり守れば開催してもOKなんですって。
じゃあそれを阻んでいる「いろんな事情」っていったい何なわけよ?
私はこれについて先のnote記事で次のように書きました。
現代の世相において、いくら政府の基準をクリアできるとは言え、実際にこれをやってのけるまでにどれほどの壁が彼女たちの前に立ち塞がったことでありましょうか。それを想像することは難くありません。それは法的云々のみならず、世間体であったり同調圧力であったりしたかもしれません。「前例がない」という言葉だったり「何かあったら責任を取れるのか」という言葉だったりしたかもしれません。すべて想像ですが、そうした有様が容易に想起できてしまうのが悲しき我が国の現実です。コロナ禍の所為ばかりとは言えますまい。
そういうことなんじゃないの。
ドイツでできることが何故日本ではできないのか。
感染者数ガーとか政府ガーとかじゃなくてさ。
そういうことなんじゃないの。
周囲の目。
世間体。
同調圧力。
こうしたことが積もり重なって、本来できるはずのことをできなくしてるのが我が国日本なんじゃないんですか!?
そうしたことが原因となって「解散してしまうグループも増えている」のだとしたら、彼ら彼女らの夢を、希望を、活動を奪ったその責任はいったい誰が取るのかって話ですよ。
民族性の違いとか国家としての取り組みの違いじゃ済まされないでしょう。それは。
今後の我が国におけるエンタメ業界における危惧
ちょっとヒートアップしましたところで、再び斎藤滋さんの「音楽熱想」に話を戻します。
斎藤滋さんは「コンサートっていうのはお客さんとアーティストとでつくるもの」ということを力説されたうえで、今後の我が国におけるエンタメ業界について以下のように発言されました。
あと、まずいなーと思ったのは、世界はもう、世界各国全部の国がそうとは言いませんが、多くの国ではおそらく元に戻りつつあって、声を出せるライブをやってる地区ももうあって、その中において、日本ではまだそういうのができない、と。そうしてるうちに、声が出せる地区ではどんどんエンタメが力を回復していくわけですよね?日本ではできなくて、そうなんです、ちょっと日本だけ後れをとるというか、うーん、遅れている状態になっちゃうなぁ~って。たかが2年3年といえどされど2年3年で、その時間の差を埋めるっていうのはなかなか難しいんじゃないかと。時間がかかるんじゃないかと思います。
例えば、野球選手とかスポーツ選手がね、1日練習しなくってもすぐ戻せるけど、3年練習しなかったら3年前の調子を戻すのに3年以上かかるかもしれない、みたいな話。これすごく危機感を覚えました、僕は。
日本国内にいると、日本て島国だからね、日本の情報ばっかりになって、回り全員がそうだから、まぁいいのかなと思うんだけれども、世界に目を向けるとふと置いてけぼりになってるのかもよ?というのは思いました。
少し長い引用になってしまいましたが、言ってることめちゃめちゃ共感します。特にスポーツ選手の練習云々のくだりは多くの方にとって分かりやすい例えなのではないかと感じました。
いま現在の自分たちのことだけじゃなくてさ。考えなきゃいけないですよ。
未来のこと。
様々な業界のこと。
世界の中における日本のこと。
そこまで視線を巡らせたとき、私たちがいま現在従っている有形無形の掟は本当に正しいものだと胸を張って言うことができますか。
私たちはなにかに遠慮しているうちに、もしかしたらもう二度と元には戻せない大切なものを失おうとしているのかもしれませんよ?
言いたいことは言い尽くしましたので今回の記事はここまでとします。
「ドイツでできることが何故日本ではできないのか」
皆様のご意見もお聞かせくださりましたら幸いです。