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結婚式とは「死」だと思う。

11月18日
僕はミッキーマウスと誕生日が同じ。
先日27歳の誕生日を迎えました。

今年の誕生日はおかしな誕生日だった。
僕は27回目の誕生日に、1度会ったことがあるだけの妻の友人の結婚式に出席していた。

1年でたった1度だけ「おめでとう」を浴びることができる日に、ほぼ面識のない夫婦に「おめでとう」を浴びせ続けた。

会場に着くと、1度だけ会ったことがある妻の友人と、1度も会ったことがない新郎のツーショットが飾られた待合室に通された。

「こちらにも2人の写真が沢山ありますので、皆様ぜひご覧になってお待ち下さい!」

わざとらしくお祝いムードを盛り立てる式場のスタッフの声を聞いて、心がザワザワした。

この感じ、なんかに似てるな。
あ、じいちゃんの葬式だ。

2年前に祖父が亡くなった時、僕は初めてお葬式を経験した。祖父とは元々多くても1年に1回しか会えない関係だった。僕らは埼玉に住んでいて、祖父たちは京都に住んでいたから。基本はお盆にだけ会える関係。だからいまだに祖父が亡くなったことに実感が湧かない。ショックで、、、とかじゃなく、会えないことが普通だったから。なにが現実か分からず涙も出なかった。

そのお葬式は親族だけで執り行った。親族といっても相当絞られていた。祖母、私の家族4人、母方の叔父叔母の計7人のみ。コロナ全盛だったこともあり最小人数で見送ることになった。

みんな笑顔だった。人目を憚らず思い出話をしながら「ややこしいジジイだったなあ」と泣き笑いながら、そっと送り出した。

「主役」という言葉が正しいのか分からないが、祖父がいない場所(肉体はいるが)で、祖父のことをみんなで話した。いない人のことを話す時は大体悪口だが、この時は違った。

似てた。結婚式の待合室が。
本人たちがいない場所で、みんなで主役の話をしながら笑い合う。

「この〇〇ちゃん可愛い!」
「〇〇ちゃん子供の頃から目が大きかったんだね」

幸せ絶頂な話のはずなのに、僕には亡くなった人のことを話すように聞こえた。

「こちらにも2人の写真が沢山ありますので、皆様ぜひご覧になってお待ち下さい!」

「最後にお顔を見てあげてください」

となぜか被る。

赤の他人が、その全てを知っているかのような振る舞いで場を仕切る雰囲気も似ていた。決してスタッフさんを悪く言っているわけではない。ただ、「結婚」や「死」といった局面は、恐らく人生でも数少ない重要なワンシーンのはずなのに、ファシリテートが他人になるのは違和感がある。「最後にお顔を見てあげてください」のレコメンドを赤の他人がするのだから面白い。

そう考えると、「死」とは「自分がいない場所で誰かが自分の話をしていること」と解釈できるのかもしれないと思った。「死ぬ」ということは、誰かが僕のいない場所で僕の話をすること。であれば「死ぬ」は怖くない。

結婚式は「死」なのかもしれない。

は?

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