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何のためのnoteなのか?そこが一番大事!

noteを始めて3年半、ブログを始めてから換算すると15年になりますが、やはりSNSで何かを発信するにあたり、何かしらのリアクションをいただくと励みにもなり、続けるためのモチベーションも保つ事ができるものです。

私も最初は視野が狭く、自分が利用しているブログサイトだけの数字しか見えていなかったのが、だんだんそれ以外のもっと広い視野を持てるようになりました。

私がnote記事を他5ヵ所のSNSに同時投稿しているのは、今までのお付き合いで得た友人たちにも届けたいという思いがあるからです。

noteではアカウントがなくても「スキ」を付ける事ができ、その表示も「非会員ユーザーからの〇スキ」として、〇には数字が入って表示されます。
誰がスキをしてくれたかはわからないのですが、少なくとも誰かが読んでくれたのだと思うと嬉しくなります。

さらには、投稿したそれぞれのSNSでの古いお付き合いの方からコメントをいただいたりすると、細く長いやり取りがいまだに続いている事に感謝の念でいっぱいになるのです。

せっかく書いた文章です。
どうせなら広く読んでもらいたいというのが正直なところで、このnoteでは、今まで15年間の成果が生きてきているのを実感しています。

しかしながらnoteでは辞める方も多く入れ替わりの激しいのが実情です。
そこで今回は、いかに自分を見失わずに続けることができるかの個人的な見解をまとめたいと思います。


それぞれを尊重するということ

周知のとおり、私は「毎日投稿」をしたことはありません。
そして今後もするつもりはありません。

投稿パターンは違って当然

その理由は私にとって「毎日投稿」は無意味であり、毎日投稿したところで、私が目指すものは得られないからです。
基本的に、なるべく自分の考察を盛り込んだ深掘りした記事を目指していて、一つの記事に対しての思入れは大きいので、そんな記事を毎日投稿するなんて不可能なのです。

スカスカの記事を連投するぐらいなら、
丁寧な記事をたまに書いた方が断然いい!

さらにはどなたにも日々やるべきことがたくさんあり、note投稿が商用ではない限り、明らかに実生活の方が大事なのです。

毎日投稿するしないは、人それぞれの目的や思い入れ、また実生活との兼ね合いにもよるもなので違って当然です。
まずはお互いにそれを念頭に入れて尊重し合う事が大切だと思います。

興味のない記事でも面白くなる理由

「いやこれはアカンわ。苦手なジャンルやん。」
記事によっては第一印象でそう感じてしまえば、もうダメ、読む気が失せてしまい敬遠してしまうのも当然ですね。

スーパーマンじゃないんだし、あらゆるジャンルを網羅している方などはいないと思います。
自分の興味に従って記事を読んでいる方がほとんどであり、それを無理に読ませるのもまた無意味なことです。

だから、記事の内容によってリアクションに差が出るのは当然ですし、それで落ち込むのはさらに無意味なのです。

でも。

たまに苦手だと思っていたジャンルでも、お?っと思う瞬間があってにわかに読み進める事があるのですが、その理由を考えてみると、原因は「自分」であることが分かりました。

つまり、記事主が変わったのでなく自分自身が変わったということ。

以前は興味が持てなかったのに、今は興味が湧いてきているという経験はありませんか?
それは自分の経験や体験を通して、興味の湧くジャンルが広がった証拠であり、言い換えれば自分の人間の幅が広がったとも言えるのです。

SNSでの人間関係で言えば、これが歩み寄るという事なのかもしれません。


単に数字を追うだけではつまらない

時々、数字だけを気にしていると感じる方がいます。
こちらの記事を読みもしないでフォローしたり、
スキ数を増やしたくて、やみくもにスキしまくったりと、そういうやり方が見える時があります。

わずかな数字の変動で一喜一憂しているのではまだまだだと、私は随分前から感じています。
そんな視野の狭さではnoteを続けていても必ず限界は来るもので、それらの行為は自分で自分の首を絞めているようなものなのです。

スキ数やフォロワー数を増やすことが、自分にとって何に繋がるのか?どういう利点があるのか?という明確な目的があれば別ですが、やみくもに数字が増えても大抵の人には何も得るものはないでしょうし、ましてや信頼を産む”歩み寄る人間関係”には至りません。

私がここ最近、ほとんどタイムラインを見なくなったのもそういう思いからなのです。

数字を気にするよりもは
覚えてもらう工夫を

基本的な信頼を築くには、面と向かって会話をしないSNSにおいては、リアクションのやり取りはきっかけとして必須ではありますが、それ以前に自分の存在を覚えてもらう事に大きな意味があります。

コメントを何度かいただいていたら、さすがに頭に残るのですが、毎記事スキだけの方の場合、読みにくいハンドルネームの方はまず覚えられません。

前回、昨年の12月のnoteに関しての記事では、アイコンに関して書かせていただきましたが、ハンドルネームも同じです。
英文字にしろ日本語にしろ、どちらにしてもパッと見て読めないような名前や、たとえ漢字であっても、凝り過ぎて●●●●●どう読むべきなのかわからないのもあります。

パッとみて直感的●●●に読めるネームにしないと、結局は自分が損なのです。

私の「千世」も一見スッキリしているようですが読み方が「ちよ」とも読めるので、フォロワーさんからご指摘を受けて「ちせ」とフリガナを追加いたしました。
私は当然のように「ちせ」と読んでくれるだろうと思い込んでいただけに、大きな気付きをいただいて目からウロコでした。

要するに、数字を増やすためにフォローやスキのバックを狙っていては、いつまでたっても埒が明かないし、それよりもまずはたくさんのnoteユーザーから自分を識別して記憶に定着していただくための、ちょっとした工夫はすべきだと思います。


周りを気にせず続けるために

繰り返しますがnoteでの人の入れ替わりは激しいです。
私のフォロワーさんもずいぶん顔ぶれは変わりました。
しかし最近、この人は続かないのではないかとわかるようになってきています。

辞めたくなった時に
考えてほしい

前述までの理由は、自身のちょっとした気づきで直せますが、そういう事だけではない理由もあるようです。
私が想像できる理由は次の通りです。

①ネタがない
少なくとも毎日投稿はやめましょう。
ネタがないのに投稿すること自体に無理があり、これというネタがある場合に一球入魂の記事を書けばいいのではないでしょうか。
投稿したいからネタを物色するのではなく、ネタがあるから書きたいという衝動に駆られる方が自然だと思うのです。
そもそもnote投稿だけが全てではなく、むしろ自分の記事など誰も待ってはいないというぐらいに気楽に構えた方が良いと思います。

②リアクションが少ない
前述の通り、数字ばかりを気にする必要はありません。
ましてはスキやコメントはこのnote内だけ●●の事なので、まったく気にしなくてよいと断言できます。
それよりも他サイトからリアル友人たちにも訪問してもらえるように工夫した方がいいと思います。

③誹謗中傷を受けた
自分に対する誹謗中傷や悪口を書かれたら、誰でも傷つきます。
私も何度か経験はありますが、本当に辛く精神的に参ってしまうのもよくわかります。
実際、それが原因となって辞めて行かれた方も何名かおられました。
しかし、そのことに関しての「仕返し」の投稿記事を書くのはどうでしょう?
それは相手の「思うつぼ」となり、あおり●●●に乗ってしまっている事になってしまいます。
ましてや第三者がそれを読むと誰に●●向けての記事なのかわからず、コメントはおろかスキを押すのも躊躇い、スルーするしかないのです。
悪口投稿は正常な精神の持ち主であるなら、読んで気持ちの良いものではなく、遅かれ早かれ自滅するのは目に見えています。
ー自分が悪くなければ辞める必要はないー
悪口にいちいち反応するのではなく、極力無反応を貫き、いかに平常心を取り戻すかが先決です。

マイペースを維持するという事

私は少なくともnoteは「自分のため」に書いています。
何度か書いていますが、いわゆる授業中に書いていた学習ノートの「まとめ」として使っている感じです。

自分の「好き」から始まったことが、行動することでさらに世界は広がり、どんどん深掘りしたくなっていくため、後日読み返してもわかりやすいように自分に向けてまとめているのです。

それらを発信することで、コメントなどで大きな気付きや新情報をいただくと得した気になりますし、交流から生まれる新情報こそSNSにおける一番の醍醐味だと思っています。

そして、やがてはまた視点を変えた本を出版したいという野望もあり、今のところそれが一つの目標です。

その目標に向けて進んでいるつもりですので、私には「毎日投稿」も「リアクション数」も「悪口」も気にしている暇はありません。
そしてnoteを始めSNSは出来る限り続けて、自分のサイトとして育てる事に大きな意義があるのです。
まずは自分ができる範囲でマイペースを維持しながら、投稿を続けていく事が肝心だと思います。

それは何より自分のためのnoteだと心がけているからなのです。


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千世(ちせ)
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