免許更新に思う事

私は4月生まれなので。先月から免許更新の通知が届き、早々と地元の警察署で更新を済ませた。

今は便利になったなぁ。
通知が来たらネット予約し、事前予約するとQRコードを発行されるので、当日はそれをかざすだけで全ての情報が読み取れる。

随分と手間が省けて楽になったものだ。

しかし肝心の講習は、やっぱり安全協会の職員が前に立ち、スライドを見ながら話すもので、これだけは進化しない。

もしかして私の地元だけなのか?

おそらく決まった文言を話すだけなので、あらかじめ画像に合った音声を録音すればいいと思うのだが、生身の人のによる説明なのだ。

途中で恐ろしいほどの睡魔に襲われるのもいつも変わらない。

たった30分の講習が、とてつもなく長く感じてしまうのは私だけではないだろう。

過去には、最優良運転手ではなかった時があって、その時の講習は2時間ほどに及び、まるで拷問だったのを思い出す。

それに比べればかなり楽なのだが、どうにも毎回、面倒に感じてしまう。


42年の運転歴

免許を取得したのは二十歳の時なので、かれこれ運転歴は42年になる。

42年!!

あらためてその年月に驚いてしまう。

あれからそんなにも経ったのかと感慨深い思いが押し寄せて、当時を急に懐かしく思い出す。


田舎の教習所で最短卒業

実は当時、たまたま父の商売の関係で兵庫県・加古川市に住んでいて、その近くの教習所に通っていた。

とにかく空いている。

自分の好みの日時でいくらでも講習も実技も思うままに受講でき、あっという間に仮免許となり、路上運転では、備考欄に「スピード超過」と書かれることが常だったが、試験に一度も落ちることなく進んだ。

そしてちょうど3週間で卒業し、
すぐに明石の運転免許試験場で試験に臨み、一週間ほどで免許証を手にし、通算4週間で免許を取得したことになる。

ストレートの最短免許取得だったのは、決して私が優秀だからではなく、田舎の教習所だったおかげで、全体人口が少なく、当時は私も一応は「若いお姉さん」だったので、教官の方々が特に親切にしてくれたおかげである。

今から思うとずいぶん得をしたと思う。



運転にまつわる思い出

若い頃は運転大好き

免許取り立ての頃は、とにかく運転したくてウズウズしていて、わざわざ往復2時間かけて海沿いのオシャレなカフェまで出かけたりもした。

今から思えば、特にするべきこともない気楽な学生だったので、とても幸せな時期だったと思う。

親のすねかじりで、車を与えてもらって、自由な時間が山ほどあったのだから。

旅行もした。

鳥取や島根、能登半島など何度かドライブし、友人たちと交代で運転しながら夜通し走ったこともある。

仕事でもよく乗った。

事務員であっても、メインバンクまでは車移動だったし、時には得意先まで納品にも行った。

大阪市内の道は混んでいる上、当時は道路の両サイドに二重に路上駐車されているのが常で、大阪名物となっていた時代である。

道路の両側2車線は違反駐車の車に占領され、使える車線は半分の状態なので、さらに車が混雑する原因となっていた。

今は規制が厳しくなってその大阪名物● ● ● ●もみられないはずなのに、相変わらず渋滞するのはなぜだろう。


ナビのなかった時代

昔は当然だが、車にナビは装備されていなかった。
おまけにスマホもないどころかインターネットもない。

目的地界隈の道路地図を買って、事前確認は必須であり、常に地図をダッシュボードに忍ばせておいて、ややこしい時はいちいち地図で確認しながら目的地を目指したものだ。

それでもわからない時は、田んぼで田植えをしてるおじさんに、わざわざ訪ねたりしたこともある。

田舎の道路は誰一人歩いておらず、店も極端に少ないため、とにかく誰か人を見つけるに苦労した記憶がある。


子供のための遠距離運転

子供を持つと、長男のボーイスカウトでのキャンプ、次男のサッカーの試合などで車を出すことが多くなる。

よその子も一緒に乗せるので、責任重大なのだが、その当時は考えるゆとりもなく、主人と手分けして車を出していた。

様々なところへ行ったが、今から思うと、特に道に迷うことなく行くことができたのは不思議で仕方がない。

ややこしくて狭い道であろうが、
田舎の開放的な道であろうが、
その都度、使命感に燃えて走っていたように思う。


買い物や病院へ

例えば、子供が幼いころ、発熱した時には車は重宝する。
高熱でフラフラになっている子を、寒風の中、自転車に乗せることもままならず、たとえ近所の病院であっても車で連れていった。

2人のうち一人がそうなれば、もう一人も道連れなので、車の方が便利なのだ。


買い物はなるべく駐車場のある大きなスーパーへと車で出かけた。

その頃は結構な確率で屋上に小さな遊園地や、館内にも遊具コーナーがあったので、特に雨の日は、買い物がてら連れ出して、二人の息子をおもいっきり遊ばせたのものだ。


家族旅行へ

息子たちが幼いころは年に数回は家族でよく遠出をした。

家族で出かける時は、主人が運転するのが決まりだが、一度、出かける直前の夜中まで飲み歩いて帰ってきたことがあって、とても運転できる状態ではなかったことがある。

思わず夫婦げんかになりかけたが、ホテルも予約しているので、行きは私が運転しなければならなくなった事がある。

隣の助手席でシートを倒して、酒臭いイビキをかきている主人をみて、どうして前もってわかっているのに泥酔してくるかと理解に苦しんだ。

子供は無邪気に喜んでいたが、私は目的地に着くまでの3時間、腹の虫がおさまらない状態で運転したので、到着した時はすでに疲れてしまっていた。



いつまで運転するか?

さて、今回の講習で特に強調されたのは、「あおり運転」と「高齢者の運転」に関してだった。

確かにこれらは最近のニュースでよく取り上げられ、社会問題となっている。

そこでふと我に返って考えたのが「免許返納」の時期だ。

そういえば私の両親は二人とも70歳前後で返納している。
「何か起ってからやと遅いから」
と言っていたのを思い出す。

まだまだ遠い未来だと思っていた現実が自分にも近づいてきたのだと、ハッとしてしまった。

私はいったい、いつまで運転するのだろう??
5年後のの更新まではできるだろうが、その先は??

もしかしたら、次回の更新が最後になるかもしれないと思うと、急に寂しくなる。

そうなると、
接触事故を起こしたことも、
スピード違反や駐車違反で罰金を支払ったことも、
タイヤがパンクして往生したことも、
嫌な思い出さえも愛おしくなってきた。

様々な思い出とともに、運転に関しての私の歴史が終わろうとしている。

それを実感して噛みしめながら、あと❓年、気持ちを込めて大事に運転していきたいものだ。


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