サザンと、妹への鎮魂と。
noteを始めて間もない頃、こんな記事を書きました。
そう、私はサザンがデビューした時からの「元祖ファン」なのです。
今や親子3世代による「にわかファン」が増え続けているせいか、ファンクラブの会員であっても、なかなかライブチケットが取れません。
上記記事は、そんな状態を元祖ファンとして嘆いているものです。
コロナ騒動もあって、結局は2019年のライブへ初めて家族4人で観に行って依頼、生サザンは観ていません。
おそらく家族でいくなどは最初で最後でしょうから、本当に良い思い出となりました。
彼らは途中、休業期間があったり、メンバーの一人が抜けてしまったりと、紆余曲折がありながらもついに45周年を迎えたのです。
この度、9月27、28、30日、そして昨日の10月1日㈰で、「茅ヶ崎ライブ2023」が無事に終了しました。
初体験のライブ・ビューイング
私はと言えば 、年とともにだんだん野外ライブが辛くなり、その上「茅ヶ崎」という事もあって、今回は申し込みを断念し、全国の映画館でライブを同時配信される「ライブ・ビューイング」を選んだのです。
これでさえ抽選なのでその人気ぶりは計り知れません。
ツアー最終の2日間のみ、映像を全国の230館以上の映画館にて生中継配信するというので調べてみると、いつも利用している近くの映画館もリストにあったので申し込んだところ、幸運にも観ることが出来たのです。
驚くほどの多くの方々がサザンの記念ライブに注目したのですね!
映画館での鑑賞っていいかも
ライブ会場の現地では、オープニング前から席を立つファンが多く、その後ろの人は見えないので、同じく立ち上がるため、自然と総立ちになってしまいます。
いくらステージ上で桑田サンが「座ってください」と言っても、誰も座りません。
それが最近の私には少々、辛くなってきていました。
ところが映画館でのライブ・ビューイングでは、誰も立ち上がる事はなく、かといって無反応でもなく、座ったまま曲に合わせてのパフォーマンスや合いの手、拍手、声援などはしっかりしているので、会場内では比較的楽にノリノリの一丸となれたのです。
スクリーンの中から桑田さんも、全国のライブ・ビューイング鑑賞者に声を掛けてくれたので、心配していた疎外感はまったくなく、常にライブ会場との一体感を味わう事が出来ました。
身体的に負担はかなり軽減された上、満足感も十分に得ることが出来たので、ライブ・ビューイングにして良かったと心から思えました。
サザンとともに年月が経った
「すっかり高齢者バンドになってしまった…」
桑田サンのオープニングトークは笑いを誘いましたが、もはや冗談では済まされない状態になっています。
ここ数年は特に、テレビなどで観るたびに、私も内心は「すっかり年を取ったな」と感じ、彼はあと何年こんなパフォーマンスができるのだろうか?と危機感を感じずにはいられないのです。
ライブのステージ上のスクリーンでは、デビュー当時の溌溂としたサザンが映し出されたりして、懐かしさとともに、45年という年月の流れに感慨深くなりました。
聞き込んだ初期のアルバムたち
2年前の記事にも書かせていただきましたが、初めてサザンをテレビで観て聴いた時の衝撃は、今でも忘れられません。
今から思えば青春真っ只中だったこともあり、特に初期のアルバムは、曲中の合いの手や超イントロでもわかってしまうぐらい聞き込みました。
1,熱い胸さわぎ (1978年8月25日)
2,10ナンバーズ・からっと (1979年4月5日)
3,タイニイ・バブルス (1980年3月21日)
4,ステレオ太陽族 (1981年7月21日)
5,NUDE MAN (1982年7月21日)
当然、その頃はまだレコードでしたので、自分でカセットテープに「サザンオリジナルベスト」を録音して、どこへ行くのも、ウォークマンやラジカセとともに持参したものです。
もちろんそれ以後もアルバムは買い続けましたが、上記の初期アルバムほど、聞き込んではいません。
それでも未だにライブで歌われる古い楽曲をしっかり歌える自分がいて、自分の中では全く色褪せていないのが実感できるのです。
亡き妹との思い出が多すぎる
私の妹は、今から17年前の2006年に他界しました。
私は4姉妹の長女で、その妹は4歳差の3女でしたが、たまたま趣味が合うのか、共感し合える事が多くて、私が友達同士で遊びに出かける時でも、必ず誘って一緒に行動していたので、私の交友関係も一番よく知る妹でもありました。
その妹も私の影響で、またたく間にサザンに魅了されて熱烈なファンになったのです。
サザンのデビュー当時はネットもない時代で、ライブのチケット発売日に、始発の電車で梅田の「チケットぴあ」の店頭前に2人で並んで手に入れたりしたものです。
その頃はまだ大きい会場ではなく、「大坂厚生年金会館」や「フェスティバルホール」などのコンサートホールで開催していたので、とても音響も良い上、会場が小さいため常に身近に感じながらのライブでした。
今回の楽曲も、最初から「C調言葉に御用心」(タイニイ・バブルス)と「女呼んでブギ」(熱い胸さわぎ)と続き、当時がクラッシュバックして、思わず妹がそばに居るような感覚になって涙が溢れました。
傍からみたら、感動して泣いているようでしょうが、実はサザンのライブを観ながら、妹との楽しかった思い出がオーバーラップしてしまい、いつの間にか涙が流れてしまうのです。
そしてライブ終了後は、いつも無性に淋しくなる。
妹へ
やっちゃん。
あんたが逝ってから、もう17年も経つんやね。
その間に桑田サンもすっかり年取って、
おまけにお姉ちゃんも年取ったわ。
しゃーけど、音楽は全然色褪せてない。
それどころか、ますます冴えてる感じやねん。
きっとライブもキツイと思うねんけど、
一生懸命に歌ってはるわ。
あんたといっしょに観たかったなぁ…
桑田サンもいつまでライブできるかわからん。
私もいつまで生きるかわからん。
けど、これからも思い出だけは残るねん。
だからこそ、今のサザンを観れなかったやっちゃんに代わって、これからもライブへ行き続けるし、
テレビのサザン特集も見続けるわ。
何年か先に、私がそちらに逝ったら、一緒に盛り上がりたいねん。
そのために、いっぱい話を仕入れとくから、
楽しみにしといてな。
P.S.
やっぱりデビュー曲の「勝手にシンドバッド」が、相変わらず一番盛り上がるわ!
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