食文化と作品の好み
乳児といると“身体は動かせないが、手と脳は暇”という状態によく陥る。
個人差はあるだろうが、私はこの状態が割と好きなので予め温かい飲み物と暇つぶしを近くにおいた状態で授乳からのまったり時間を楽しむことが多い。
私の場合、脳を動かさないと自分の幼少期を思い出して気分が落ち込むので何かをインプットしなければ、という気になる。
そんな中、最近初めて韓流ドラマを完走した。
「SKYキャッスル」というドラマで、セレブたちのドロドロと教育ママのドロドロが合わさってとても見ごたえのあるドラマだった。
ただ少し気になったことがあるので、素人ながら頭の整理をしたいと思う。。
日本の映像作品は出汁のよう
日本人に好まれる作品を語る上で欠かせないワードは「伏線」「考察」である。
SNSが発達した現代だから好まれているのではなく、平安時代から好まれていると言ってもいい。
源氏物語でも光源氏が好きになった人は大抵実母と血縁関係で繋がっている。また、若い頃に義母を寝取った源氏は、老後に妻を寝取られ、伏線回収して幕を閉じる。
現代人に好まれる伏線とは、言ってみれば一見なんでもないことを繫げてくれる万能接着剤で、扱いが難しいものの効果は絶大である。
またもう一つの「考察」は「伏線」を補強するもので、見る側に考えさせることで強く印象に残すことができる。
この2つの要素がうまく合わさることでジワジワとストーリー全体をまとめているのだ。
私はこれを出汁文化作品群と呼ぶことにする。
米国の映像作品はBBQ
映画といえばアメリカであるので、こちらも整理してみたい。
アメリカのドラマや映画はなんといっても分かりやすい。そして迫力満点だ。
複雑な、どっちつかずな人間関係はさほど描かれない。
言動と行動パターンが決まっていて大きく逸脱することはない。
BBQのように焼く食材と味付けは大体決まっていて誰と食べるか、どんな時間を過ごすのかに重きをおいていることに似ているのではないかと考える。
これをBBQ文化作品群と呼ぶことにする。
韓国の映像作品は唐辛子
では本題の韓国はどうか。
私が一番驚いたのは何歳だろうが大声で泣くシーンが何度もあることだ。
感情を何かに託して描くのではなく、ありのまま直接的に描いていることに新鮮さを感じた。
そして驚くべきことに、その悲しみは長くは続かず、和解のシーンもなくいつの間にか元の関係に戻っているのだ。
また、ストーリーの重要事項を誰がどこまで把握しているのかわからないことも多いのだが、割と勢いで押し流される。
また美容大国という面もあるのか、肌が綺麗すぎる祖母世代にも違和感があるが、これも勢いで押し流される。
「勢い」というのはテンポがいいと同意だ。
見る側の感情がストーリーに追いつけなくても、ストレスなく見ることができる。
作品において何よりも重要なのは「ストレスなく見続けられるか」であることを踏まえると、このテンポ作りはどこよりも秀逸である。
物語としての整合性より登場人物の一時的な感情が優先される。これは韓国唐辛子のような尾を引かない刺激と言い換えることができる。
これを唐辛子文化作品群と呼ぶことにする。
食の好みと作品の好み
食と作品の系統を考えてみると、国民性には一貫性があると言える。
勿論、ド素人の考えなので異論は沢山あるだろうし鑑賞作品も少ないので間違いもあるだろう。
このことを考えてみると、日本がアクション映画を不得意とする理由もわかる。また絵に厚みのあるストーリー性を持たせることで人気を集める漫画やアニメの強みも見えてくる。
わたし自身、映像作品のインプットが足りていないので、もっと他になにか共通点はないか、各国どのような特徴があるのか今後も注視していきたい。