54歳で後期博士課程に入学
現在、大学院後期博士課程に在籍中です。高等学校教員として、特に「書くこと」によって生徒の思考力を引き出したいと考えて授業をしてきました。残り少ない教員生活の中で、今までの総括としてもう一度学び直したい、そして何かまとまった成果を出したいという思いで後期博士課程に入学しました。
大学院生としての日々
社会人を広く受け入れている大学院を選びました。受験を決意した当時、現在の教員の仕事を辞めることは全く考えていませんでしたし、現在も考えていません。仕事があるから「学び」がある。こんな年齢でも「学び」があるからそれを仕事に活かすモチベーションが沸く、という好循環ができています。
でも、体力・気力的には辛いことは確かです。
大学にはそれほど行っていません。後期博士課程なので、授業もそれほど取らなくてもよいので、仕事が終わって週2回ほど通っています。
自分の研究については、ほとんど家でしています。
研究もそれほど進んでおらず、これからどうしていくのかなあと心配になることが多いです。
「学べる」ことのありがたさ
とはいえ、自分の稼ぎで授業料を支払い、家族の了解を得て32年ぶりに大学という場に通えることは本当に幸せです。
私は修士課程は放送大学でしたので、大学という場に通ってはいません。
だから、何よりも「大学」という場へ行き、図書館で書籍を探し、院生室で論文を探し、印刷して・・・ということが楽しくて仕方がないのです。
大学へ行きたくても金銭的な問題で行けない若者も多いなかで、50歳を過ぎて再び大学へ通える自分は幸せすぎますし、申し訳ないという気持ちもあります。
その分、自分の授業実践や研究で恩返しをしなければならない、と心から思います。
長男は理系の博士後期課程に在籍中
実は、長男も博士後期課程1年生です。
長男は在籍する大学から月々のお給料的なものをいただいてフルで研究生活をおくっています。
学会発表は2回、その発表で賞もいただいています。
世界的な論文誌に論文も掲載されました。
(母としてはその掲載された論文を見て泣きました・・・。)
彼の研究生活に比べて、私は本当に「おばはんの趣味」程度で焦ります。
そしてこれから
長期履修で博士後期課程へ入学して一年目が終わろうとしています。
修士課程の学びとは少し違うことを研究していますので、まだまだ基礎力も足りません。
そして、親の介護も近づいています。
どこまで今の生活が続けられるかわかりませんが、もし親の介護が必要となったら状況によっては「学び」を中断することになるでしょう。
しかし、「学び」は一生のもの。
50歳を超えての「学び」は「何者かになる」ためのものではなく、社会への還元、自らへのご褒美だと考えています。
未来のことはわかりません。
焦りや心配は多いですが、現在の研究テーマが形となるかどうかは自分の努力と天の采配だと考えて、毎日を大切に過ごしていきます。