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セクシャリティの話題はもう古い
朝の職場までの10分間、運転をしながらvoicyを楽しんでいる。ある日あるゲイのvoicyパーソナリティの一言がとっても印象的だったのでシェア。
“セクシャリティの話題って、もはや古いよね”
キッパリとこう言い放っちゃえるところが本当にすごい。
きっと、「ゲイで在ること」が、彼の実生活や精神生活、まわりの人間関係にとって自然などころか、ゲイライフ大満喫なんだろうなって想像した(もちろん、人知れずのたくさんの苦労があった上で)。
実は、こうしてセクシャリティの話題を綴っている私もそう思う。
タンザニアに居て現地人にオープンにできないって特殊なシチュエーションをのぞけば、LGBTQであることに「まったく」支障がない人生を送れている。
唯一困るとしたら、リラックスをしに温泉に行っても、"タイプ"が裸で目の前を通り過ぎればソワソワ落ち着かず、温泉どころじゃなくなることくらい(しかたない、ごめん旦那)。
あの「浴槽にタオルNG」の施設都合のルールは、ゲイにとってはユニバーサル・サービスだ。ありがたい。
家族・友人に恵まれて、こうして私は今ゲイとして「楽に」そして「破廉恥に」生きてこられている。
だからこそ、みんながみんな「セクシャリティの話題は、時代遅れ(=今さら何いってんの?)」って発言ができるくらい、どんなセクシャリティも意識することなく生きてゆける世の中がくればいいなって、ほんとうに強く願う。
(楽に生きさせてもらっている家族や友人)
でも、こんな私でも、そのvoicyパーソナリティの言葉を最初に聞いた時は、「え?!」と戸惑った。
だって、
・「もはや古い」って言えるほど世の中はまだセクシャリティにオープンじゃないから。
・そして、「(私も含めて)キャッキャと楽しそうに地上に出てきているゲイ」が、大多数のゲイではないということを知っているから。
自分のセクシャリティについてオープンにする・しないの選択をしなければならないLGBTQがたくさんいることを忘れてはいけない。
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思えば、セクシャリティやLGBTQについて、政治家が発言したり、テレビや映画で取り上げられたりと、こういったきっかけがなければ、この話題を積極的に話そうって思う「LGBTQではない人びと」はほんの一握り。
彼らの人生にとって必要のないことだから、この状況は至極当然だと思う。
でも、【世の中がオープンになってセクシャリティについて誰も語らない】と【無関心のままLGBTQについて語られない】のとでは、同じ「語る・語らない」でも雲泥の差。
こんな時代の日本だからこそ、「僕ができているからこの話題はもう十分」ではなくて、できているからこそできている人がLGBTQを話題に取り上げることが必要なんだと思う。
“異性愛の人びとがLGBTQについて考えたり感じたりするチャンスを増やす”
これこそ私がnoteでLGBTQについてつらつら綴ろうと思った動機。
だから、キーボードをパチパチと叩いている間、常に頭に浮かべるのは、圧倒的に異性愛の友人や知人たち。そう、LGBTQではない人たちに伝えたいから。
ここまで読んでくれてありがとう。これを読んだ後に、LGBTQについて少し考えてみたり、女子風呂に紛れ込んでしまったアクシデントについて想像とか膨らませたり、セクシャリティについてひとつふたつgoogleしたり…そんなアクションをしてくれたらあなたの隣にいるLGBTQが少し喜ぶ。
noteの題材、今思いついた。
【異性愛者にとって同性愛者の友だちを持つことのメリット・デメリット】
同性愛者の友だちがいたほうが人生楽しい。
近々書こうと思う。
では、またね。