見出し画像

岩波少年文庫を全部読む。(21)僕らも「時代の考え方」にとらえられて、おかしな考えかたをする ヒュー・ロフティング『ドリトル先生アフリカゆき』

(初出「シミルボン」2021年2月18日

19世紀前半を舞台に、博物学者が大冒険

 米国在住の英国作家ロフティングの人気シリーズ第1作。第1次世界大戦の記憶もまだ新しい1922年に刊行されました。挿画も作者自身のもの。

 いっぽう作中の時代背景はそれから100年ほど前の、19世紀前半です。

事件は十九世紀前半に起こっているけれども、作者の生きた十九世紀後半や、さらに下って二十世紀の風俗や話題が取り入れられているのだ。〔南條竹則『ドリトル先生の世界』(2000/2011)国書刊行会、64頁〕

 医学博士ジョン・ドリトルは南イングランドにある「沼のほとりのパドルビー」の開業医兼博物学者。動物好きが嵩じて業務に支障をきたし、いまは貧乏暮らしをしています。

「ききみみずきん」を得る

 あるとき、アフリカ生まれの鸚鵡ポリネシアに動物の言葉を手ほどきされ、獣医として成功しますが、鰐をサーカスから引き取ったことで恐れられ、病院はふたたび寂れ、同居の妹も愛想を尽かして出ていってしまいました。

 動物の言葉がわかる、といえば日本民話「ききみみずきん」(岩波少年文庫では木下順二『わらしべ長者 日本民話選』所収)ですが、一気に解決する「ひみつ道具」的アイテムではなく地道な勉強の賜物、というのが妙にリアルです。

 チンパンジーのチーチー、犬のジップ、豚のガブガブ、家鴨のダブダブ、梟のトートーらと暮らしているところに、アフリカから燕が飛んできてドリトル先生を訪れます。アフリカのある地域の猿たちが感染症に苦しんでいるというのです。先生は猿たちを救うために出発することにします。

 ところで梟が〈フクロ〉と表記されているのは、第1作の下訳を担当した石井桃子の表記が残っていたのでしょうか? 石井訳『クマのプーさん』シリーズでも梟は〈フクロ〉です。

おっとりとした、悠揚迫らぬ諧謔と文明批評

 以下、ジョリギンキ王国での冒険、ジャングルの動物との出会い、双頭の動物・オシツオサレツの登場と、奇想の乱れ打ちながらどこかのんびりとした読み心地は、原文だけでなく井伏鱒二の訳に負うところもありましょう。

 とりわけ、猿の国とジョリギンキ王国とのあいだの峡谷に猿たちが素早く手を繋ぎあって橋を架け、追手に追い詰められた先生一行がそれにつかまって猿の国に入る場面はじつに絵になります。

 バンポ王子の協力を得てジョリギンキを脱出した一行は帰途、海賊や人探しなどの冒険を重ね、帰国後はサーカス団に加わってオシツオサレツを(言いかたは悪いけど)見世物にして大儲けするのでした。

 作者は米国在住とはいえ、まぎれもない英文学の手触り。おっとりとした、悠揚迫らぬ諧謔と文明批評に満ちた連作は、生前刊行の長篇10篇、歿後刊行の短篇集と遺稿から補筆された長篇の、合計12タイトルあります(番外篇『ガブガブの本』は岩波少年文庫からは刊行されていません)。

黒人表象の問題と表象批判の問題

 本書で政治的に問題になった箇所は、バンポ王子が白い肌に憧れるという展開です。父王によって投獄されたドリトル先生のもとを訪れ、つぎのように訴えるのです。

色の白いあなたさま、私は不幸な人間でございます。もう何年も前に、私は本で読んだ『眠り姫』というのをさがしにゆきました。〔102-103頁〕

そして、何日も何日も他国を歩きまわって、やっと姫を見つけまして、そっとゆり起こしました。すると、姫は目をさましました。でも、私の顔を見ると、『まあ、この人、黒い!』といって、逃げてゆきました。そして、ほかのところへいって、また眠ってしまいました。〔…〕どうぞ、私の色を白くして、もう一度、また眠り姫をさがしにゆけるようにしてくださいませ。〔…〕私は、色の白い王子にならなければなりません。〔103頁〕

王子は先生が調合した薬品で顔を白く、目を灰色にします。

 (この連載では、登場人物の肌の色についてはすでに、「人魚姫」について書いているので、ぜひお読みください)

 この場面をはじめ、いくつもの表現が1970年代以降、批判されてきました。このため、本書巻末の石井桃子「「ドリトル先生物語」について」(1978)の時点では、シリーズの第3作以降が絶版となっていました。いっぽう1978年時点では英国版はすべて刊行されていたようです。

「人種交流を進める子供の本協議会」(Council on Interracial Books for Children = CIBC)が一九六八年に刊行した機関紙の中で、図書館員イザベル・スールは「ドリトル先生は、白人の責務を〝気高く〟背負う〝偉大なる白人の父〟の権化であり、その作者は人種差別の白人優越主義者であり、現在の西洋白人男性に知られている偏見のほとんどすべてを持っている点で有罪だ」と断じた。〔…〕一九六八年以後、アメリカの学校や公立図書館では『ドリトル先生』シリーズの購入が停止された。その結果、一九七〇年代にシリーズは絶版となり、一九八八年にデル社が著者の次男クリストファー・ロフティングの協力を得て抜本的な改変を加えた版を刊行するまで読まれなくなったのである。〔河合祥一郎『新訳 ドリトル先生アフリカへ行く』「訳者あとがき」角川文庫、2020、161頁〕

 その後の米国版では内容を改めた「改訂」版となっているようです。

かつてシェイクスピア作品においても、性的言及や卑猥な俗語を一切排除した家庭版が出版されたことがあったが、文化から果たして〝毒〟を取り除き切ることはできるのだろうか。子供には読ませないという判断は尊重できるが、児童文学の中にさえこうした偏見が入りこんでいたという歴史的事実を削除すべきではないだろう。抹消するのではなく、直視しなければ、問題は理解されない。
 ロフティングも時代の子であったのであり、どんな人もその時代の考え方につかまってしまうものなのだということを、むしろ子どもたちに教えてあげるべきではないだろうか。〔…〕
 私たちだって、私たちの「時代の考え方」にとらえられて、おかしな考え方をしてはいないかと反省するよすがにすべきではないのだろうか。自分たちは正しいと思い込み、芸術作品を改変しようとする行為には、ある種の暴力さえ感じさせる。
 〔…〕ロフティングを攻撃する前に、私たち自身もこれまで気づかずにだれかを傷つけていないか、自分たちのなかにも批判されるべき点や直すべき点があるのではないだろうかと考えながら読むべきではないだろうか。〔河合祥一郎『新訳 ドリトル先生アフリカへ行く』「訳者あとがき」、163-164頁。太字強調は原文では傍点〕

 この連載もここからしばらく、このドリトル先生シリーズのレヴューにおつきあいいただくことになります。どうぞよろしくおつきあいください。次回、『ドリトル先生航海記』でまたお目にかかりましょう。

 なお戦後の日本では、本書を原作として茂田井武が原画を担当したスライド映写機用作品『ドリトル先生アフリカへいく』(1951)があったのですが、台本が残っていないそうです。原画はのち、小説家・英文学者の南條竹則の手になる文をつけて絵本化されました(集英社、2008)。

Hugh Lofting, The Story of Doctor Dolittle, being the History of his Peculiar Life at Home and Astonishing Adventures in Foreign Parts (1922)
挿画もヒュー・ロフティング。江森瑛子装幀。井伏鱒二訳。巻末に訳者の「あとがき」(1978年5月)ならびに石井桃子「「ドリトル先生物語」について」「各巻の紹介」(1978年3月)を附す。
1951年6月25日刊、2000年6月16日新装版。

ヒュー・ロフティング 1886年バークシャー州メイデンヘッド生まれ。マサチューセッツ工科大学中退、ロンドン・ポリテクニック(のちのウエストミンスター大)卒業後、北米で鉱山測量、キューバやナイジェリアで鉄道敷設に携わる。渡米後、本書でデビュー、のちにルイス・キャロル・シェルフ賞。続篇『ドリトル先生航海記』でニューベリー賞。作品に『ささやき貝の秘密』(以上、岩波少年文庫)『ガブガブの本  『ドリトル先生』番外篇』(国書刊行会。『ドリトル先生のガブガブの本』角川つばさ文庫)、『タブスおばあさんと三匹のおはなし』(集英社)など。

江森瑛子 装幀家。《アーサー・ランサム全集》(岩波書店)などの装幀を手がける。

井伏鱒二 1898年広島県安那郡加茂村(福山)生まれ。本名滿壽二。早大文学部仏文科および日本美術学校中退。1923年「幽閉」(「山椒魚」の原型)でデビュー、佐藤春夫に師事。『ジョン萬次郎漂流記』(『さざなみ軍記 ジョン万次郎漂流記』所収)で直木賞、『黒い雨』で野間文芸賞、『本日休診』(『遙拝隊長 本日休診』所収、以上新潮文庫)『早稲田の森』(新潮社)などで読売文学賞、『漂民宇三郎』(講談社文芸文庫)などで芸術院賞。他に文化功労者、文化勲章。翻訳にロフティング《ドリトル先生物語》(全13分冊、岩波少年文庫)。1993年歿。

石井桃子 1907年浦和生まれ。日本女子大英文科在学中から菊池寛の助手となり、卒業後文藝春秋社、新潮社に勤務。白林少年館出版部を立ち上げ、編集者・翻訳家として活躍、ついで岩波書店嘱託として岩波少年文庫を立ち上げる。童話『ノンちゃん雲に乗る』(福音館書店)で芸術選奨文部大臣賞、小説『幻の朱い実』(岩波現代文庫)で読売文学賞、他に菊池寛賞、子ども文庫功労賞、芸術院賞、朝日賞。著書に『幼ものがたり』(福音館文庫)『山のトムさん』(岩波少年文庫)《石井桃子コレクション》(岩波現代文庫)『子どもの図書館』(岩波新書)『プーと私』(河出文庫)、訳書にミルン[『くまのプーさん』](https://shimirubon.jp/reviews/1702392/)(岩波少年文庫)ポター《ピーターラビットの絵本》ブルーナ『ちいさなうさこちゃん』(福音館書店)など。2008年歿。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100
期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?