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おばあちゃん



先々週、大好きな祖母が亡くなった。
ステージ4の胃がんだった。



小学生の夏、
秋田にある母の実家へ帰省するのが、1番の楽しみだった。


母も祖父も、根っからの真面目なタイプでふざけた事をするとすぐに咎めてくるが
祖母はノリが良く、子供心がわかる人で
いつも私や弟と一緒におちゃらけてくれた。

とにかくよく笑う人で。
みんなで大曲の花火を観に行った時に
あまりにもでっかい花火が、あまりにも連続で繰り広げられることに何だかおかしくなり
私と祖母2人でゲラゲラ笑ってたのを覚えている。

また、祖母の作る料理が私は大好きだった。
特に唐揚げときゅうりもみは格別だ。
きっと誰もあの味を超えられない。



だがいつからか、祖母は忘れっぽくなった。
認知症が少しづつ進行していた。

一緒に遊べるゲームは限られ、
体力も落ちてしまい、外に出かけることもほとんどなくなった。
大好きだった唐揚げもきゅうりもみも、食卓に並ばなくなった。
しょうがないことだけど、少し寂しかったな。



部活やバイトに追われていた高校、大学時代は
数年に1度しか顔を出せなかった。

それでも祖父母との楽しかった思い出はずっと心に残っており
私は高齢者と関わる仕事に就くことを決め、
新卒で介護施設に入職した。
5年目の今も、変わらず楽しく働いている。



また新しい介護の資格をとろうと勉強中であった今年のGWの最中。
祖母が入院し、あまり具合が良くないと
母からメッセージがきた。

この時点では、祖母が末期の胃がんであることも、余命宣告がされていたことも、母は教えてくれなかった。
私が祖母を大好きなことを知っているので、悲しがるからと隠していたのだろう。

でも何となく、早く会わないといけないような気はして、すぐに面会の予約をとってもらった。



祖母が入院していた病院の面会は、
週に1回、15分までの決まりだった。

会えるまでのもどかしさを抱えながら、母と祖父の3人でやっとのご対面。
嬉しさ半分、不安半分の心境で祖母の病室に入った。



祖母は、既に弱りきっていた。
ふっくらしていた身体は痩せこけ、管がいっぱい刺さっていた。
顔色も悪く覇気のない表情で、正直もう別人だった。

この時点でかなりショックを受けていたのだが、
更に追い打ちをかけるような出来事が。

「どなた?」

祖母は、私の顔を見るなりそう言ったのだった。

祖父が "何言ってんの凜ちゃんだよ" と教えてくれたが、しっくりきていないようで、
「だぁれ?」と再び不思議そうな顔をした。

小さい頃から仲良しで、大好きな祖母から認識してもらえないことは
頭を引っぱたかれたような衝撃的な出来事だった。

ここ数年会えておらず、見た目が大人っぽくなったからだろう。という事にして、自分を落ち着かせた。


あっという間に15分が経ち、
帰り際、また来るからねと手を振る私に
「じいじをよろしくね」と祖母は言った。

私を母(祖母の娘)だと思って言ったのかな〜と思ったが、その後。


「凜〜」
と、私の名前を呼んでくれた。


祖母は、ちゃんと覚えていた。私のことを…。


帰りの新幹線では、一連の出来事を思い出し
様々な事実に涙が止まらなくなった。
 



それから2週間後、祖母は亡くなった。

母からそれを聞いた時、不思議と取り乱すことなく
すんなり受け入れることが出来た。
たったの15分だったが、祖母の様態を見て
知らないうちに私は覚悟できていたみたいだ。


といいながら、葬式中も葬式後もめちゃめちゃ泣いた。



症状がここまで悪化するまでの間に、もっと会いに行けばよかった。
祖母の、孫にも負けない無邪気な笑顔を、もっと見たかった。



私はきっとこの先も、高齢者と関わって生きていくのだろう。
それが、与えられた使命にすら思う。

まだまだヘッポコ介護士だが、まずは新しい介護の資格取得を目指して頑張りたい。



見ててね、おばあちゃん。

試験に合格したら、お祝いに唐揚げときゅうりもみを作ってください。

ウン十年後、食べに行くから。


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