名前の由来

どうも千夏です。
初めから重い話で申し訳ないが生きづらさを感じたことが多い自分はこの社会に違和感を覚えることが多々ある。
そんな違和感を記事にするので不快にさせてしまったらとの思いがあり、「どこまでなら書いていいか」を悩んだせいでボツ記事がいっぱいだ。
初めから世の中の違和感、当たり前に物議を醸すような記事を書くのは気が引けるのでだんだんとディープな話にしていきたいと思う。
noteを始めていることからも分かるように発信したい気持ちは強いのだがどこまでなら書いていいのか、うまく書けるか、このような言い方は周りを見下していないかなどなどたくさん葛藤しながら書いているため、なかなか伝えたいテーマで書くことができない。
タメになる話よりただの思い出話が多くなることが予想されるがあたたかい目で見ていただけたら嬉しい。
そんなわけで今日は比較的浅いテーマ、「千夏」の由来を書こうと思う。
本名ではないがなんとなくテキトーにというような単純な思いつきではない。

「知夏」でも、「千奈都」でも、「ちか」でもなく新しく何かをするなら「千夏」にしたいと思っていたのには理由がある。大好きな小説「よろこびの歌」(宮下奈都著)の登場人物・原千夏に強い憧れがあるからだ。千夏は主人公ではない。よろこびの歌は語り手が入れ代わりたち代わるので主役と脇役があいまいではあるのだが、主人公の友達というポジションである。他の登場人物もそうだが特に千夏は自分の境遇を受け入れ、その境遇に不満をいだきながらも最終的にはその境遇に感謝するようになっていく。そんな千夏の強さに憧れたのだ。
本名はもちろん、たとえハンドルネームでも名前は大事だと思う。自分という人間を表す一部だからだ。


実はこの名前は日記を書くときに使っていた名前である。
話し相手がいなかった自分は日記がもっともなんでも話せる「友達」だったのだ。
(別記事にも書いたことで申し訳ない…)
日記用ノートの名前は本名を実際よりかっこいい(と思う)漢字表記で呼び、日記に使うお気に入りのペンを「千夏」と呼んでいた。

漢字表記も名前も自分しか読まない日記なので要らないと思う方もいらっしゃるかもしれないが、
自分にとってはノートを親友と見立てることがストレス発散法だった。
また本名の漢字表記は「赤毛のアン」のアン・シャーリーがANNEの表記にこだわるようなものだ。

その名前を眠らせておきたくはないけれど、
他のSNSには違う名前がありそれが定着しているため今更変えるのは惜しいと思ったのだ。


アイコンものびのびとしたものにした。
スマホをいじってばかりの人笑
実際はスマホだけじゃないけどスマホをやってばかりなのは事実なので…


「原千夏」が登場する本、よろこびの歌についてはこちら


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