イスラエルの嘘(最終)
ここまで出エジプト記をもとに、
イスラエルの嘘を暴いてきましたが、
出エジプト記に収まらない部分を最後にまとめたいと思います。
以前、キリスト教について(1)で、
新約聖書の書かれた時期について考察しました。
同様に、旧約聖書の書かれた時期について考えて見ます。
旧約聖書と言うのは2世紀以降のキリスト教徒により呼ばれたもので、
ヘブライ人の為のヘブライ語聖書と言うのが、
イスラエルの嘘を暴くのには正しい呼び方と思います。
旧約聖書とヘブライ語聖書には、
多少の違いがありますが、大方は同じモノです。
ヘブライ人からみたヘブライ語聖書は
以下のように規定されます。
律法(トーラーと呼ばれ、モーセ五書の事)
創世記
出エジプト記
レビ記
民数記
申命記
預言者(ネビーイームと呼ばれる)
前預言者(ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記)
後預言者
十二小預言書
諸書(クトビームと呼ばれる)
例えば、創世記の文章を読むと、おかしなことに気が付きます。
一番おかしいと思うのは、
主であり絶対神であるはずの神の名前が
「ヤハウェ」と「エロヒム」と二つ出てくる上に、
「エロヒム」はヘブライ語では神々と複数形なのですよね。
絶対神であり、一神教であるはずのヘブライ語聖書でさえ、
こんな出鱈目がまかり通ります。
ヘブライ語聖書が書かれた時代を考察すると、
おそらく、紀元前14世紀から紀元前537年頃と思われます。
理由は、ペルシャ帝国(西はエジプトのザビアから東はガンダーラまで、
また、北はマケドニアから南はインダス川までの広大な帝国)の
王キュロス2世が、バビロニアに捕らわれていたヘブライ人たちに、
エルサレムに帰還して神殿を再建することを許すと言う
布告を出した記録があるので、おそらくその間、
またはもう少し後の時代に書かれていたと思われます。
ただし、紀元前14世紀頃のカナン地方の記録は、
エジプトにあるのみで、「アピル」と呼ばれる集団が
現在のパレスチナ(カナン)で略奪行動を行っていたことが
記録されています。
このアピル(シリアやメソポタミアの文書では
「ハピル」ないしは「ハビル」とも)は民族名を指すものではなく、
奴隷や傭兵を含めた居留民ではない無法者やならず者といった
社会階層を指す言葉の様です。
アピルがヘブライ人であったかどうかは不明ですし、
調べようがありません。
創世記からは、紀元前14世紀頃
アブラハムの子のイサク、イサクの子ヤコブ(別名:イスラエル)が
ヘブライ人の始祖と書かれていますが、
アブラハムとイサクの記述には
圧倒的に南部ユダ地方に置かれた聖所との関わりが記されているし、
ヤコブの記述には
サマリア地方やヨルダン川東岸の聖所が言及されていることから、
アブラハムとイサクが南部の部族(後のユダ王国)の族長で、
ヤコブが北部やヨルダン川東岸系の部族(後のイスラエル王国)の
族長だったと考えられます。
ヘブライ語聖書では、カナン侵攻の内容は
ヨシュア記、士師記に記されているのみです。
その後、サムエル記、列王記には、
ダビデが南部の部族をまとめ、ユダ王国をたて、
北部ではイシュバールを王としてイスラエル王国をたて、
後に、両国はダビデを王として認めることで和解し、
そしてソロモンが王になり、エルサレムに大きな神殿を立てたと
記載されています。
ここで、誰がヘブライ語聖書を書いたのか。
バビロニアによりユダ王国が滅亡した時、
バビロニアに反乱を起こさせない目的でユダ王国から
連れてきた政治や宗教を司る捕虜になった人々が、
当時の最先端であったバビロニアの文化に触れ、
そして、自分のアイデンティティを守るために、
この捕虜になっていた50年から60年の間、
つまり、紀元前587年から紀元前538年の頃まで、
バビロニアで捕虜になっていた政治や宗教を司る人々によって
古くからある伝承などをまとめ上げたと言うのが
一番正しいと思います。
その為、「ヤハウェ」と「エロヒム」と言う様な
矛盾が書かれています。
これについては、文書仮説と言ういくつかの元になった文書があり、
それを統合したり、下書きにしたりして、
ヘブライ語聖書が出来ていると言う考え方があります。
四種の原資料は
J(ヤハウィ資料)
E(エロヒム資料)
D(申命記史家)
P(祭司資料)
で、内容は高等批評に詳しくあります。
バビロンに捕虜として、捕らえられていた
自らのアイデンティティに目覚めたヘブライ人の政治家や宗教家達は、
イスラエル王国やユダ王国に伝わる伝承を統合するだけでなく、
それを当時の最新思想(一神教)によって権威づけ、
その上で、自分たちの虜囚体験を古代の先祖に当てはめ、
ヘブライ民族がエジプトに捕虜にされていたという物語、
神話を作り出したと思われます。
ユダ王国では神々は神殿で神官たちによって祀られていましたが、
バビロンでは捕虜だった為、神殿をつくることができなかったので、
シナゴーグという集会所で信徒たちが(神官抜きで)
さまざまなルールを決めるしかなかったと思われます。
こうしてつくられたのがユダヤの法であるタルムードで、
その基になるモーセ五書を解釈するのが宗教指導者である
ラビだったのであろうと思います。
ただしこれまで長々書いてきた様に、
モーセ五書そのものがシナゴーグでラビたちによって
作られたモノで単なる物語にしか過ぎないのです。
これこそが、イスラエルの嘘で
考古学的な証拠がなく、他の歴史資料とも矛盾する聖書の物語を
前提にヘブライ人の歴史を語るよりも、ずっと説得力があると思います。
そうすると聖書に記された
ヘブライ人が約束の地に帰還する権利は失われ、
イスラエルのヘブライ人の契約は嘘となります。
現在のヘブライ人であるユダヤ人(イスラエル)には
アラブ人(パレスチナ)と争う権利もありません。
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