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キリスト教について(6)

12番目の弟子を決めるのにくじ引きをして、 
マッテヤを弟子にしたのですが、 
普通に考えれるならば、 
主(絶対神ヤハウェ)に祈って、
主の導きにより決めるのが正しいような気がしますが、
なぜか、くじ引きです。 
当時はくじ引きが神のお導きだったのでしょうか? 
資料を当たってみても、その辺は出てきません。 
とても不思議です。

第二章1項~4項
五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、
一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、
ひとりひとりの上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、
いろいろの他国の言葉で語り出した。

五旬節とは、ユダヤ教の三大祝日の一つで、
過越すぎこしの祭から50日目にあたる大祭で、
モーゼがシナイ山で十戒を受けたことを記念します。

過越すぎこしとは、ユダヤ教の三大祝日の一つで、
ユダヤ人がエジプトのパロ(トトメス4世)の圧政下にあったとき、
絶対神ヤハウェは10の災いをエジプト全土にくだしたが、
その最後は国中の長男を殺すことであった。
イスラエル人だけは羊の血を家の入口の二本の柱と鴨居とに
塗ることによって、その難をのがれたので、それを記念する祭。
家族が食卓につき、マッツァーやセーデル等の
儀式的なメニューの食事をとって祝う日です。

エジプトのパロとは、古代エジプトの王を指す称号で現代では
ファラオとして知られています。
トトメス3世の治世の時代(紀元前14世紀)に、
イスラエル地方は属地化され、
エジプトの北東部に住むユダヤ人は奴隷として
ファラオの元、奴隷として生きていました。
もともとユダヤ人はイスラエルには住んでいません。
紀元前13世紀、モーゼが現れ出エジプトが始まり、
それが、五旬節のもとになっています。
現代の科学ではモーゼの出エジプト記は全く証拠がなく、
単なる小説でしかありません。

家の中にいて、おそらく食事をとっている時に、
風の音が聞こえ、轟音が響き渡り、
弟子たちの頭の上に炎のようなモノがとどまったら、
弟子たちが知らないはずの、各国の言葉で話し始めたと言う、
現代で可能性を探るなら、晴天で発生した雷による大音響と
その雷の磁場による球電とか球雷とかいう
プラズマの塊がたまたま部屋内に発生したものではないか?
そのショックででたらめな言葉を発したのを
各国の言葉と勘違いしたのではないかと思われる。

第二章5項~6項
さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、
信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
この物音に大ぜいの人が集まってきて彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。

この文章にもおかしな点があります。
信仰深いユダヤ人ならばバプテスマを受けているので
基本的なユダヤ語は聞いたり話したりできます。
出来ないと、バプテスマを受けることすらかなわないからです。
生まれ故郷と言えども、日本より小さな国土です。
言語が違うと言えども、日本人の感覚からすると
方言の範囲内だと思います。

第二章7項~13項
そして驚き怪しんで言った、
「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
それだのに、わたしたちがそれぞれ、
生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、
メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに
住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、
あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、
どうしたことか」。
みんなの者は驚き惑って、互に言い合った、
「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。
しかし、ほかの人たちはあざ笑って、
「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。

まぁ、これが第一章4項~5項で言う
『ナザレのイエスの弟子たちは、聖霊からのバプテスマを受けるだろう』とナザレのイエスが語った部分に当たるのでしょう。

紀元前64年共和政ローマのグナエウス・ポンペイウスにより
セレウコス朝シリアがローマの属州となり、
ユダヤもユダヤ属州となり、約100年後ナザレのイエスが誕生し、
その60年後、帝政ローマと属州ユダヤとの戦争が始まる
はざまの時代ですから、言葉の壁などは
それほど大きくは無いと思います。

ここで弟子たちが語った、神の大きな働きとは何でしょう?
おそらく、十戒だと思われますが、事実は不明です。

第二章14項~15項
そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、
声をあげて人人に語りかけた。
「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、
どうか、この事を知っていただきたい。
わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。
今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。

まずは酔っていないことを宣言し、

第二章16項~21項
そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに
外ならないのである。
すなわち、
『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、
老人たちは夢を見るであろう。
その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。
そして彼らも預言をするであろう。
また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、
すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。
主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。
そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。

この部分はヨエル書からの引用と思われる。
よく読むと、矛盾と思われる記述があります。
すべての人とヨエルの予言では語っていますが、
実際、その予言を受けたのはナザレのイエスの弟子たちだけです。
そのことを考えた場合、
おそらく、弟子たちの受けた色々な国言葉で話すという事が、
すべての人たちに、
主(絶対神ヤハウェ)の名を呼び求める人々としての契約を結べる
可能性を残していると言うだけで、
すべての人々を救う気は無いと思います。

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日本における仏教(1)

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