頑張って、頑張って、頑張ったら死んじゃうよ
私は強い。
言いたいことはハッキリ言葉に出すし、そこで色んな人とぶつかっても、会話や対話を諦めない。そこを諦めたら何も生まれないと、中国の大地に教えてもらっているから。
曖昧なものを、曖昧なままで放っておけない。曖昧なものが増えていって、自分の人生が霞むのなんか嫌だ。白なのか、黒なのか、青なのか、赤なのか、目が覚めるほどにわかりたい。
なるようになるまえに、自分でなんとかできるものがあるなら、手を尽くしたい。後悔なんてしない。絶対に。
一昨年、去年、色んなことがあって考えたたくさんのことを。でもどんなにつらくても、その辛さには負けない。負けたくない。
頑張る。頑張らなきゃ、なんせ、
私は、強い。
と、思っていた…
*
「どうしたの?どんどん、固くなっている気がする。最近」
例にもれず、『頑張ろう、頑張ろう』と心の中で唱える私を見て、中国から来た同僚は言った。
顔周りを表すジェスチャーをしていたから、「表情が固い」と言いたかったのだろう。
やっぱり表に出て、バレているよね・・なんて苦笑いしながら、私は、「いや、ただ一昨年の年末から色んな事があって、家族のこととか、自分自身のことも。自分にとっては大変なこともあって、でもその辛い気持ちには負けたくなくて…」
と、言い終わるか終わらないかで、同僚はこう言った。
「頑張らなくていい、それ以上。」
それを聞いた瞬間、頑張ろう、だけ自分から言い聞かせられていた私の全身は一瞬停止した。
そんな私に間髪入れず、彼女の言葉が降ってくる。
「私、日本来て、頑張ってって言葉大好きだよ。
日本語は素晴らしい。頑張ってっていう日本語は美しい。日本人の心の中に住み着いてる言葉。でも私も色んなこと今まであって、頑張るとか頑張ってて声かけるは、いいとき、悪いときあるって分かったの。
頑張らない方が良い時があるの。色んなことあったとき、ただ笑って過ごすことだけを大事にする、それが一番のときがある。」
更に、彼女はこう続けた。
「頑張っている人に、頑張ってって言ったら、
頑張って頑張って頑張って、きっと死んでしまうよ」
「起こったことは、なるようにしかならないの。良い事、悪い事、あとでわかるよ。仕事は楽しむもの、人として基本のルールを守って、生活楽しむもの」
「だからもう、頑張らなくていい」
はっとした。仕事中だったから抑えたけれど、本当に胸がいっぱいに熱くなった。
中国から来て、日本で20年以上住んでいて、自分で家まで建てた彼女は、
ほんっとうに、今の私の想像を超える色んなことがあったんだろうなと話を聞いているうちに流れ込んできて、経験は違えど、分かるよ、と肩を抱かれているような気持になった。感謝の気持ちが溢れる。
そうか、私はもう頑張らなくていいんだ。
人は、自分が次にどんな行動をとるか考えるとき、選択肢を多く知らないと(知っていても気付かないと)選べない。
そこまでの私は、何故か頑張る一択だった。
頑張らない、とりあえず。
その一択が消えていたことに気付いたし、それに気付いたと同時に、大きく肺や胸が開いて、とても息がしやすくなっていった。
*
ここまで時間を過ごしていると、どうしようもないも、ままならないも人生にたくさん落ちていることに気付いてくる。
そして、それがやっかいなほどに鮮やかに人生を映していることも。
頑張ることだけで、固くなるのも強さではないのかもしれない。
頑張らない大事さもあって、ままらないことの存在も受け止めて、
曖昧さを、曖昧なままに抱きしめれるようになったら、
今とは違った強さになるのかもしれない。
今よりもっと、人生というものが愛せるかもしれない。