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「ル」ートビア殺人事件

 「犯人はこの中にいる!」とよく分からぬ小童が赤い蝶ネクタイに語りかけているが、その声の太さに度肝を抜かれて僕は失禁した。でも最近再発した夜尿症対策でパンパースを履いていたおかげで、辺りに気づかれることは無かった。平野啓一郎か? という疑念ももちろん湧いて、僕は遠くから興味津々に見つめている。
 「犯人は大きな乳房を抱えていました、そしてそれはあなたのことですね、安浦さん」と僕の右横にいる、体百点、顔六十七点、性格野蛮の女性の名前が呼ばれて、皆一斉に彼女の方を振り向く。
 「違います」と彼女は動揺することなく無表情で答えた。「違います」
「いや、あなたが犯人だ!」
「違います」
「あなたしかルートビアを飲んでないんだ!」
違います」ここまで淡白に違いますと言われると、流石に小童の顔が、間違えたんだなと思っていそうな、苦虫を噛み潰したような滑稽な感じになった。平野啓一郎なんかじゃなかった、あれは「業界くん物語」の頃のいとうせいこうだ。「建設的」の頃の余裕さはない。ため息も漏らした僕は現場から離れ、そのまま伊勢佐木長者町のドン・キホーテに行くことにした。
 あそこはよく治安が悪いと言われているが、普通に良いところで、活気がある。僕はドンキで激安クソデカチョコレートやハリボーのグミ(シュネッケンは除く)をチャイニーズもびっくりするほど爆買いして、そのままドンキの入口から出るとある商店街のところを真っ直ぐ歩き、比較的大きいBOOK・OFFでなんか適当に物見することにした。色々と読み漁ったからとりわけ買いたいなという本はなかったけど、なんか買いたい気分でもあったから折衷案でいとうせいこうの「ノーライフキング」を百円で購入した。
 帰り、ブルーラインに乗ろうと思って伊勢佐木長者町駅のところへ向かっていたが、途中急にラーメン二郎を食いたくなって、関内店の所に目的地を変更した。
 店が見えるところからは行列が全く見えず、うれしくなったが、小走りで店の前まで行くとシャッターが閉まっていたからこれは糠喜びだった。もう分かりきったことなのに今日休みだと信じられず、スマホで今日の曜日と関内店のTwitterを確認し、完全に休みだと思い知ったときは更にしょげた。
 とぼとぼと駅へと歩く。パスモは持っていたけれど、いちいち金を入れるのがめんどくて、結局切符を買ってしまう。まあそっちの方が効率悪いように思うかもしれないが、黙ってくれシャッザファッカップ。もう僕も嫌々そんな気がして、腹たってるんだ。プラットフォーム、壁に貼り付いた〇〇歯科の広告を見て歯ぎしりをした。
 電車に乗り、優先席が空いているから座る。向かいには化粧をしている若い女性が居る。次の駅で知らねえ婆さんが乗ってきて、席を探し始めると、隣のこれまた知らねえ婆が、
「席変わってやりなさいよ」と声をかけた。僕は咄嗟のことでつい席を譲ってしまったが、しかし何故第三者の癖に偉そうな口が聞けるんだ? 席を譲り、お礼の言葉をかけられたのは嬉しかったが、それにしても当事者じゃない人間から、自分を棚に上げて喋るのは甚だ不愉快だ。第一僕が障碍者だったらどうしていた? というか、どうして向かいの女性とかにも言わないんだ。舐められたものだ!
 ふと僕はこの言葉を思い出した。「違います」あの体百点、顔六十七点、性格野蛮の女性はどうしたのだろうか、何とか無罪になったのだろうか? 悪いことをしたな、あれ僕が犯人なのに、勝手に犯人に仕立てられて。あの小童、なんか物々しい雰囲気があったけど、無能だな。そう思って僕は笑ってしまった。「違います
 下卑な笑いをすると、さっきの第三者ババアビッチが変な目で見つめてきた。僕はその眼差しが気に食わなく、認めるや否や、バッグから犯行の時に用いたルートビアのキャップを開けて、彼女の頭へと流し込んだ。
 「何をするの! やめて!」とババア特有の曇った悲鳴と共に彼女は叫んだ。一両全体に響き渡りそうな声だったが、僕がルートビアをぶちまけた瞬間、
「横浜ー横浜ー」と横浜駅到着のアナウンスが、開扉のプシューという音と共に発されたので、僕の周りしか気づくものは居なかった。してやったりという顔をして、僕は電車を降りた。後ろからは言葉なのか判別し難い叫声が聞こえてきたが無視した。
 「ルートビア好きが絶滅危惧種というデマは一体誰が広めたんだ? おかげであの体百点、顔六十七点、性格野蛮の女性に濡れ衣を着させる羽目になったわけだ。自分の犯行だとバレなかったのは、まあ、都合いい。だけどあれはないんじゃないの」僕はまたため息を漏らして、空になったルートビアのペットボトルを自販機脇のゴミ箱に投げ捨てた。僕からゴミ箱までの距離はおよそ6.75m、まあ3ポイントシュートの距離だ。僕が投げたブルドッグこさえたペットボトルは宙を舞い、幾人そばたてるバーコードハゲを越え、ゴミ箱の縁に頭が当たると、今度はその向こう側の縁にケツが当たり、そのままゴミ箱内に収まった。僕は華麗にシュートを、またそのまま牛タンでおなじみ「ねぎし」で夕食をとることに、決めた。ブルーライン改札口からすぐ行けるし、お得な定食屋だからだ。
 「ねぎし」に着いた。行列は出来ていなかった。直ぐに店員が僕の所へやって来て、こちらへどうぞと席へと案内してくれた。今回は空いているのか、運良くソファー席に座れた。
「ご注文が決まりましたら、声をおかけ下さい」そう言って居なくなった店員のケツを見つめながら、僕は先程買った「ノーライフキング」を取り出した。買うとき、表紙が黄ばんでいるように見えたけど、今は明かりが橙になっているせいかまじまじと見ても気にならない。取り敢えずメニューを適当に見て、贅沢にも「しろたんセット」に決め、近くにいた店員に声をかけ、
「しろたんセット、ライス大盛りで」と言った。
 待ち時間、僕はやはり表面のざらついた「ノーライフキング」を読み始め、冒頭、校長の突然死シーンがきて、面白くなってきたぞ、と思った瞬間、しろたんセットがやって来て興ざめした。SFポストモダンにしろたんセットが介入することへのナンセンスさ。しろたんとはフェラチオの途中に射精されたときの、白くコーティングされた舌のメタファーで、少なからずとも「ノーライフキング」の幼児のガイストに根ざされたSFの、あのスターチャイルドのようなものには不釣り合いなのだ。そう思っていると不釣り合いじゃない気がしてきて、結局いとうせいこうが悪い気がしてきた。
 仕方なし、食べることにしよう。そう思って僕はまず、左上のとろろを飲むことにした。正直ご飯と合わせて食べることに悦びを感じられない。僕は一回とろろご飯として食べたことがあったが、ご飯がとろみで一粒一粒離れていく感覚が気持ち悪く、それ以来とろろとご飯を分けて食べることにしていた。とろろ自体は醤油で味付けされており、美味い。だからグビグビと一気にいけてしまう。
 とろろを食べ終え、お新香かタンか、とつい迷い箸をしてしまい、恥ずかしさと口内の塩気で白米に食らいつく。白飯というのは上手くできている。理想の日本人のように主張せずともその魅力を醸し出し、好かれる。桃李成蹊ツナグだ。
 かっこみつつ、タンを一切れ頂く。歯ごたえ良し、味良し。塩を振ろうか迷う。数秒悩み、少し振る。そしてもう一切れ。うむ、少し味が深くなった。そう思って、僕はまた白米を食べる。すると最初山のように盛られた白米が底を尽き、僕はもう一杯おかわりしたくなり、店員を呼びかけた。「大盛でお願いします」
 直ぐにホカホカの白飯がやって来て、僕はまたタン一切れと一緒にちびちび食いをする。僕は卑しいからお腹を効率良く膨らますためにタンを一気に食べないのだ。
 そうして僕は計三回おかわりし、汁物もお新香も味わいつくし、腹がいっぱいになり、そろそろお会計済ませようかと思い、席を立とうとした瞬間、目の前のカウンター席に座っていた中年男性二人組のうち、メガネかけたハゲ頭の男が大きな声で、
待っていればいつか幸せから歩いてやってくるだと!? お前のことを待ちきれず、地団駄踏んでいるだけだ!」ともう一人に説教していた。「L change the worLd」の平泉成みたいな怒り方。もう片方はそう怒声を掛けられているのにも関わらず、むしゃむしゃと白飯を食い続けている。なんでまたこんな所で叱ってるんだ? 迷惑だろ、と思いながら僕は会計を済ませ、再びブルーラインに乗り、三ツ沢上町駅の下宿へと向かった。
 二番出入口の階段を登ると、少しずつ夜が見えてきた。もうすっかり暗くなり、街灯と看板の光と行き交う車の光が強調されている。いつもの夜なわけだけど、どこか憂愁に満ちていた。早く帰って、オムツ捨てて、シャワー浴びて、ルートビア飲みながら買ったお菓子食べたい。そう思うと、自然に早歩きになっていた。
 脇目も振らず、ひたすら歩いていると、僕の家のところに無数の赤いランプが煌々と光っていた。それは何か、誰かを死ぬまで待ち受けているかのような、執念にも近い光だった。
「もうバレたのか」と僕は歩くのを止め、またもため息を漏らして、人生の諦念を受け止めつつ、愚痴るようにそう呟いた。
 「逃げようかな」そう思って僕は後ろを振り向いたけど、両足は枷がついたようにとても重かった。罪悪感なのだろうか、恐怖心なのだろうか。いずれにせよ逃げられず、額からは冷や汗のようなものが滲み出てきた。「違います」こう言おうか。平然と。あの体百点、顔六十七点、性格野蛮の女性の絶妙な顔を思い出しながら、僕は心の中で「違います」を反芻した。しかし僕の鼓動は速いままだった。なぜなら真犯人は僕だからだ。体百点、顔六十七点、性格野蛮の女性がタンタンと言えたのは、犯人じゃないからだ。そらを翔けるからのルートビア。バーコードハゲとくそババア。ディストピア。韻は暗に踏まれた。だけどそれがどうした? 僕は依然として犯人で、僕はチビりそうになったけど、もう漏らせない。結構溜まっていたから、もう許容範囲ギリギリだからだ。高性能だけど、なんかヒヤヒヤする。不快な感じ。パンパースからムーニーマンに変えるべきか、いやしまじろうは最早タリスマン、変えようとしても変えられない。無理だ。
 もう取り留めもないことを考えていると、ふとあのおじさんの言葉が脳裏を過ぎった。「待っていればいつか幸せから歩いてやってくるだと!?お前のことを待ちきれず、地団駄踏んでいるだけだ!」正しくその通りで、何もしなければ僕は一生このままなのかもしれない。もしかしたら進んでみて得られる幸福はあるかもしれない。そうだ、自首しよう。そうした方が幸せだ。自分を欺き続けるなんてきっと出来ないし、狂ってしまうだろう。そう思って前を向き、再び歩き続ける。足取りはとても軽い。さっきまでどうしてあんなに重かったのだろうかと思ってしまうほどだ。途方も無い距離のはずだった帰り道は日常の短さを持ち、なんだか穏やかな気持ちで闊歩し、最初は下を見ながら歩いていたけれど、少しずつ恐れもなくなって、自分の家の近くまで来た頃には、よし正面を見ようと思えるようになって顔を上げたら、そこにはパトカーではなく、国道一号線を毎夜走る走り屋の違法改造されたバイクがあった。背もたれに「静岡連合 鯛蛾亜酢タイガース」と刺繍され、その周りを強力なLEDライトが赤く光っている。走り屋共は隣の空き地でタバコをふかしあっていた。「あ、そういうこと?」

 シャワーも浴びてすっかりリラックスした僕は、ドンキで買ったチョコを頬張り、キンキンに冷えたルートビアで流し込んでいた。暇だからとYahooニュースでなんか面白い事件でも無いかと物色していたが、今日神奈川県横浜市で殺人事件があったというニュースを見つけ、詳細を読んだら、あの小童エモ川コナンと体百点、顔六十七点、性格野蛮こと安浦さんの写真が掲載されていて、どうやらあの後、眠っていたおじさんに彼女が殴り込み、小僧が危ないと思って彼女に麻酔銃(?)みたいなのを撃ち込んだらアナフィラキシーショックで死んだとのことで、エモ川は殺人の容疑で現行犯逮捕されたらしい。本人は否定しているらしいが、僕が関与した殺人も彼がやったとして余罪マシマシ、即日死刑になった。あとあのくそババアは、僕を追おうとした際に滑って転び、向かいの女性が持っていたキレッキレのマスカラ棒の方へ倒れ、そのまま頸動脈をブチ切ったために辺りはルートビアと血の混じりあった地獄絵図と化したらしい。もちろんババアはくたばった。「ノーライフキング」超えや。

ビットネーム:晋平太

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