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最果タヒ展

休日の二日間返上で怒涛の用事を遂に済ませた。
終わって一人になってからの達成感と無敵感は尋常じゃなかった。

ご褒美を残しておいたから、帰り道がワクワクに包まれている。
イヤホン越しの音楽はボリュームが2つぐらい大きい気がするし、意識するほどではないぐらいに歩幅が広くなっている。

電車を乗り継ぎ、到着したのは渋谷駅。

山手線から降車して、ハチ公改札に差し掛かる。
スマホに電子マネーを搭載できるようになってから向かうところ敵なしだ。

スマホに電子マネーを登録してみた。
残高の確認もすぐにできるし、改札で止まる必要なくスムーズに動けるほどに便利だ。もう今頃電子マネーのカードを新規で作ることはないだろうと思いながらも、まだまだカードをかざしている人をたくさん見かけた。社会水準の極まっている部分が騒ぎ立てて最新鋭の技術を大っぴらに見せつけてこようと、一般層にまで届くのってそんな簡単なことではないのだ。カードケースに入れられた電子マネーが身体の一部に巻きついていて動けずにSOSをこちらに向けているのを何度か見たけど、助けきれなかった。私の管轄外だったから治安維持には疎いの。お急ぎなの、ごめん遊ばせ。

改札を抜け、PARCOの方向にひたすら真っ直ぐに進んでいく。いつもなら気になってしまうのに、この日に限っては、どんな人とすれ違ったかを気にしていないぐらいには楽しみなことだった。

今回の渋谷に来た理由は「最果タヒ展」にいく為、これが自分が自分に用意したご褒美だった。

詩人としてオンリーワンの活躍が増えている最果タヒさんの作品がこれでもか!と会場内に広がっている。

立体の透明なガラス板のようなものなのに影が文字として読めたり、吹き出しサイズの言葉が、あたり一面に所狭しと入れられたスペースに言葉の暴力を感じたり、本棚を模した本の連続には意図してものに体が生まれていく。オブジェクトに面白さを見出したとはいえ、この人の魅力はやはり詩にある。

どうも引っかかる言葉選び、予想がつかない次の言葉、独特な句読点の使い方、全てが癖になり、作品の虜になる。

意図しているものがしっかりと見えてくる時もあれば、もっとパワーアップして帰ってくることもある。その絶妙なわからなさに、人々は手を伸ばしてどうにか実体に触れたいと思うのに、一生後ろ手をつかめそうにない。追いつけないとは言われながらも、異常な言葉のインプットに心地よさと爽快感が伴っていた。

頭が入れ替わるレベルでの入力の数々に、正直びっくりしている。

ガチガチの先入観と鬱陶しいぐらいの無力さを捨て去ってここにきている。

どこにも発散できないストレスの負荷を与え、意地悪をしても全て跳ね返してしまう。無尽蔵に強いのであればこれに越したことはない。

網を引き、次々とここに順応していく文字たちは激しく、外堀を埋めるように交わる。

午後7時に夜明けが訪れた、そこにいくしか道はないんだ、と思った。

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ひの
自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。