『文化系のためのヒップホップ入門』 長谷川町蔵, 大和田俊之 感想
1990年代生まれ、音楽的自我が芽生えてからはロックを聞き、近年はアイドルにハマっている女が令和に読んだ場合の一考
「ヒップホップのことが知りたいな」と思い、教科書的なものを探していた中で手に取ったのがこの本だった。
この本では1970年代〜2000年代のヒップホップについて、地域的な観点も踏まえて網羅的に記述されている。丁寧に読めば、ヒップホップの大枠は捉えられると言えるだろう。
ただしAmazonのレビューにも散見されるように、この本はまさに「文化系のための」ヒップホップ入門。ここでいう文化系とは、これまで音楽を真剣に聞いてきた人を意味する。
1990年代に生まれ、幼い頃はクラシックとJ-POP、自我が芽生えてからは日本のロックバンドを中心になんとな〜く聞いていただけ、音楽シーンのことはろくすっぽ知りませんという人間にとっては、この本を面白く読むのはなかなかの難易度だった。
(街と対象を絡めて論じられている文章が好きなので、その時代における人口流動や民族・人種の割合、都市論等に触れられているという点では楽しめた。)
「洋楽は好きで聞いていてシーンについても詳しいけど、ヒップホップはちょっと自分の守備範囲じゃないなあ〜」という人や「ヒップホップが好きで聞いてるけど時代背景はあまり…」という人にとっては面白いだろう。
ここから先は個人的な因縁のようなものにもなり得る。この本を読んだ私の、所謂「お気持ち」である。人を不快にすることはあっても心地よくすることはないであろうことを文章にし、公開することについてしばらく考えた。しかしこの思いを閉じ込めて次第に忘れていくのは嫌だと思い、書く。
ロックからパンク、スカを聞いて青春時代を過ごした私がヒップホップを知りたいと思ったのは、LDH所属のアーティストやK-POPのアイドルを好きになったことがきっかけだった。彼らを好きになり、その音楽を聞き、それまで全く触れてこなかったヒップホップに興味を持つようになった。恋愛ソングに対して食傷気味になっていた私にとって、貪欲に上を目指す姿勢や自らの内面が表現されている彼らのヒップホップ調の曲は、聞いていて心地良く思えるものが多かった。そのような始まりであった故、反骨精神が旺盛なジャンルであるという程度のイメージはあったものの、ヒップホップそのものについての理解はほとんどない状態だった。
そのような女が、発行から10年が経った2021年に読んだという状況において感じたこと、ひとつのサンプルである。
ひとことで言うと、私がこの本を人に勧めることはない。
そう思うに至るまでの不快感をおぼえた要因は、筆者らが女性ラッパーをどのように捉え、どのように表現しているかというところである。
大和田 ところでギャングスタ・ラップはその暴力的なリリックや女性蔑視の要素が常に批判されますよね?
長谷川 僕は、メインのリスナーがティーン男子のポップ・ミュージックに運命づけられた性質だと思っています。ロックだって同じようなものだし、ヒップホップだけを責めるのはどうかなと。
—『文化系のためのヒップホップ入門』長谷川 町蔵, 大和田 俊之著
https://a.co/eXXSoQl
この本においてヒップホップの女性蔑視については、上記のような肯定から始まる。この論自体については不快感はあるものの、まったく理解できないというわけではない。
問題はそこではなく、そういったジャンル自体の集合知的な悪習を隠れ蓑にした、無責任で無自覚な攻撃性である。ヒップホップという音楽がどうかということ以前に、論じている筆者らの中にも女性差別的な考え方が根深く存在していると分かる部分が多く、本当に辟易した。
中でも特に疑問に思ったのが「第4部 ヒップホップと女性」の中の以下の言葉だ。
長谷川 女を捨てるか、女を過剰に主張するか、どちらかじゃないと男たちに居場所をつくってもらえないんですよ。
—『文化系のためのヒップホップ入門』長谷川 町蔵, 大和田 俊之著
https://a.co/3eZuIze
何故、女性が男性に居場所を「つくってもらう」という表現になるのだろう?
私はどの分野においても、女性が自らの女性性で以って勝負することに対して肯定的に思っている。さまざまな利権が絡むアーティストという職業の性質上、プロデュースの方向性の全てが本人の意思とは限らないというのは念頭に置く必要がある。また、女性性を利用したくないのに利用せざるを得ないとしたらそれはそれで問題である。しかし、女性が自らの意思で女性性を武器にして、その結果その作品がヒットしているとしたら?何故、女性性を武器にしているというその一点から「男たちに居場所をつくってもらっている」と決めつけられねばならないのか。それはその女性自身が獲得した場所であり、誰かから与えられた場所ではないだろう。
正直なところこの本を読んだ結果、私のヒップホップに対する印象は少なからず悪くなってしまった。このような価値観がスタンダードな世界なのかと思い、勝手に失望した。しかし、それもあまりにも乱暴すぎる話だ。
この本の中で、「攻撃的で反抗的なキャラクターで、「ビッチ」という言葉を肯定的な意味にとらえなおした功績がある」と簡単に分類されるにとどまったリル・キムについて、以下の記事では下記のように書かれている。
Lil Kimはギャングスタラップと同義だったミソジニー的ナラティブを完全にひっくり返し、それを逆に女性を批判・蔑視する男性たちへ突きつけた。Lil Kimは自分の性的指向を堂々と叫び、その攻撃的な姿勢は彼女のトラックをギャングスタラップの超暴力的トラックと同等に見せていた。ギャングスタラップの本質は反逆とエクストリームだが、Lil Kimはこの2つを非常に上手く利用したのだった。
彼女自身を知らないためにそうと言い切ることはできないが、きっとこちらの記事の方が彼女の意図するところをより正確に汲み、評価しているのではないかと感じる。
結局ある物事がどのように評価されるかというのは評価者の価値観によるものであるし、それゆえに何かを知りたいと思ったらその対象をさまざまな方向から見る必要がある、という言葉にしてしまえば恐ろしく当たり前な教訓を得た。
ヒップホップと女性については、今後も知識を深めていきたい。
(2021.10.02 - 2021.10.03)
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