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なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない

東畑開人さんの、

「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」
を読ませていただいて下線をひいたことなどの備忘録メモです。        ネタバレ含むなのでご注意ください。


ひとりという苦しさ
家族の問題、キャリアの問題、自尊心の問題、パートナーシップの問題・・・
それらの奥深いところには、「ひとり」という同じ苦しさが響いている。    大船は溶けていき小舟社会で孤独を感じる。

とあった。


改めて、この苦しさは孤独だったのかと認識できた。認識できると、少しだけ楽になって、打つ手もありそうな気がした。


小舟社会

地域社会、職場など、
不自由だが孤独を感じる必要がなかった大船だった社会が、
自由だが自己責任の小舟化した。
ある時ふと何かが起こり気づいてしまう。
「そうなると、私はひとりです」
自由で過酷な小舟社会をいかに生きるか


小舟という表現になるほどと思えた。オール一つで陸のように自由が効かない水の上で進んでる感じだ。底はみえないような海の上で、漕いでいる。調子の良い時はどんどんタイミングがあって楽しく進むが、ふと気づくと周りが遠ざかっていき孤独になる。寄っていけそうな相手がいれば寄って行ってみる。そんな自分が想像できた。


サポートの方法2つ 処方箋と補助線

さっきまで普通に生きていたはずなのに、突如落とし穴にハマってしまう時がある。

そんなときにサポートが必要。
ひとつは、灯台のような生き方の指針をあげる心の処方箋をあげるという方法

もう少し、処方箋が欲しいと思ってしまうのは、欲張りだろうか。きっと、よく効く処方箋や、プロのカウンセラーならではの捉え方もあるんだろう。それは、実際のカウンセリングの際に楽しみにとっておこう。



もうひとつは、

心に補助線を引いてあげる方法。
5角形も補助線を引いてあげれば、3角形と4角形になる
補助線をひくことで、複雑なものが複雑なまま理解することができる。
補助線を使ってじっくり自分の生き方を考えれば良い。

数学が好きだった私には、補助線という表現がスッキリきた。自分が今まで持っていなかった判断基準で分けてみると分かってくる。分かってくる気がするから面白いものだ。



分けるとはわかることです。
わかることは苦しいことでもある。
分かった上でスッキリ排泄したり、もやもやとして取り込んで消化して新たな生き方につなげたりする。
余裕があれば、モヤモヤを消化できれば、心の可動域が増えて、怖いと思っていたことに少しだけチャレンジすることができる。


どうしたらスッキリするのか?そんな実例も欲しいものだ。

スッキリする方法は人それぞれなのだろうか?

パッと思いつくのは、裁量があることとか、人が共感してくれることや、楽しんでくれること、話をきいてくれることや、したがってくれることなどだろうか?自分の周りが自分の裁量でうまくいく、そんなふうになればすっきりするだろうな。

一方で、もう少し後ろ向きなスッキリする方法を想像してみると、愚痴を言って、聞いてくれる人がいて、そうだねそうだね、わたしもこんなことあったよ。そうそう。みたいな会話も立派なスッキリかもしれない。

これを、それぞれのご夫婦やカップルや、親友や家庭や、仕事の仲間や、同級生の間で、居酒屋やスナックでやってるんだろう。

コロナのこんな時だから、そんな意識的にスッキリ愚痴に共感してもらえる時間を作らなきゃと思った。


意のままにならない”馬”と、意のままにしたい”ジョッキー”

チャレンジしたり、コントロールしたりする意のままにしたい”ジョッキー”と、湧き出てくる意のままにならない思いという”馬”


時には馬の声を聞いてみる

意のままにならない馬を、意のままにしたいジョッキー寄りの世の中だが、時には、欲望を満たそうとしても良い
インスピレーションをもたらすのは馬なので、馬が新しいものをもたらす
馬に任せるとコントロールがうすくなり、現実は不安定になる

馬の声を聞いてみるのは苦手だな。

ジョッキーとして制御できているわけではなく、気づいた時にはおこっている。

馬が手綱を切って暴れ回っている。もう少し、静かに馬の声を聞けるように意識的に自分がしたいことを洗い出しておかないといけない。


私の中には、複数の人生がある
人生にはさまざまな場面があって、それぞれに違った私が生きている
効率性と生産性だけではなく、馬に任せてみる。


心の回復のためには

心の回復のために、以前とは違う働き方、考え方でこれまでとは違う生き方をインストールしなければいけない。
バージョンアップなのか、ギアダウンなのか、サイドステップなのかどんな方法でも良いが、違うやり方ができるようにする。

今までと違う生き方はなんとなくダメなことだと思っていた節もあった。

これからは、変えられるなら違う生き方で、ぬるりとすり抜けていこうと思った。


安全な港へ(マネジメント)

疲れた時は、安全な港に入るように、まず休もう。
昔好きだった漫画でも読んで休もう。
すこし、回復してくると頭が少しづつ判断できる。


職場でのちょっとした、安全な港はトイレだ。トイレに行って目をつぶってみる。ほんんの数十秒でも少しだけ自分だけの敵がいない時間になっている。


少しづつ夜の海を航海する(セラピー)

すぐに全てが破綻するわけじゃないんだと思い、不安をコントロールし始めることができる。
そしたら、すこしだけ夜の海に航海をしはじめてみる

カウンセリングの言葉では、
安全な港に誘導することをマネジメント
夜の航海をし始めることをセラピーという

マネジメントとセラピーは繰り返される
安全な港に入ったり、少し航海をしはじめてみる、は何度も繰り返せば良い。
安全を確保できるような目標設定をしよう


働くことと愛すること
愛することの目的は愛することそのもの
趣味などは愛すること
愛することの本質は、何かをすることではなく何かとともにあること

愛することの正体は、
他者を敵でないと感じられること 他者が安全であると信じられること 他者が現実や心の中にいること

働くことで他者の役になっているという感覚をもてる。その感覚が、他者は敵でないと感じることを助けてくれる。

「いる」が保障されていないと「する」はできない
その場所になれていないと頑張ることはできない

働くことによって愛することができるし、愛することによって働くことができる

心の中の他者は遠ざければ遠ざけるほど危険な存在になっていく
顔を合わせない時間が長いと、苦手な人は余計に苦手になる

働くことから「いる」ことがなくなった

愛することとは、敵ではないと感じられる他者と共にいること。

自分が避けられている、愛されていない、嫌われるというのはこれだったのかもしれない。自分のこだわりという正義で偉そうなことを言い放ち敵対していた。自分にとってはその時だけのつもりでも、相手に取ったらもう2度と安心できない敵になっているのだ。愛されるために、安心できる言葉を使い続けないとと深く反省した。

逆に、相手を愛するために、なんとなく怖いと思っている部分を分けて考えてみて、よく考えてみると安全だなとおもうようにしていきたい。怖くなければ目の前の相手を愛することができる。尊重することができる。怖いと思わなければ愛することができるんだ。

危険なところもあるけど、そうじゃない部分もある他者といかにすれば一緒にいられるのかを考え、自分の生き方をバージョンアップする
人とどのようにしてつながり、関係を深めていくことができるのか

小舟の時代の愛することはいかにして可能なのか

職場や友達や家族がいても、気づけば孤独になっている

食事に誰かを誘いたくても、相手に迷惑をかけている気がしてしまう
調子が悪くなればなるほど、人に会いたくなくなる
ジョッキー礼賛の社会では、他人はコントロールできないから危険な存在だと感じている
つながりは危うくてはかない
大船がない今、僕らのつながりはとぎれやすくはかない
孤独になりやすい世界なのに、孤独に耐えられない
友人を必要としているのか、恋人を必要としているのか、保護者を必要としているのかわからないまま、ネットワークだけを広げても意味がない

心の中の大切な他者と一緒にいることもできるから、記憶は財産


シェアとナイショ

同じものを複数人で共有する
同じ場所 同じ時間 同じ問題 同じミッション 同じ傷つき・・・シェアするものはなんでも良い

性格の良い悪いなんて環境次第
私が「やなやつ」になっているのは、周りのせいかもしれない
シェアとは傷つけ合わない関係

ナイショとは、傷つけ合う関係
傷つけ、研磨し、新しい関係をつくりなおしていくこと

追い詰められている時には、まずシェアの関係をつくる
シェアのつながりはみんなのつながりであるから安全
シェアできるものが薄くなっていくとそのつながりは弱くなっていく

ときどき危険なナイショの関係を必要とする時もある

依存先がさまざまあるから自立できる

不遇な時 人はやなやつになりやすい

心は、如何なる時でも自分を守るよう勝手に動いている自動システム
人それぞれ定番のやり方があり、それが性格

自分でないものにさせられると傷つく
受け入れ難いことを言われると傷つく
同意していないことを無理やりやらされると傷つく


シェアの関係から始めてみよう




スッキリとモヤモヤ

職場では、ある程度自分以外のやり方を受け入れなければならず、そうやって非自分が増殖していくので、たまに、排泄してスッキリしないといけない

モヤモヤは、ある程度他人に預けたり、他人から預かったりしても良いが、あまり他人に無理をかけると倍がえしで帰ってくる

モヤモヤはスッキリしなくてはいけない
でも、できる範囲でモヤモヤを消化吸収することができれば、僕らの心を変化させてくれる

消化できそうなモヤモヤと絶対譲れないモヤモヤを分けてみよう



他人を頼ったって良い

自分の心は自分んでなんとかするべきと思いがちだが、自分の心は誰かに守ってもらうものだ。他人を頼ろう。そして、逆に他人にも自分のできることをしてあげよう。

人を助けた人にも気持ちよさという報酬があるから、頼ったって良いのだ。

スッキリさせるかモヤモヤさせるかは、周囲の受けて次第のことも多い。

スッキリさせつつ、時にはできる範囲でモヤモヤを消化し自分のこころの可動域をふやしていく。


もう一度パートナーにヘルプを伝えてみようと思う。


複数ある 「も」ある

現実はシンプルじゃなく、悪意を向けてくる他者もいれば、私の苦痛に無関心な他者もいるけど、善意をいだいている他者「も」いるし、
苦痛に関心をもつとき「も」ある

幸福とは、複雑な現実をできるだけ複雑に生きること
現実はまだらもようだから、まだらもようのようにとらえよう


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