中学生、淡い初恋の思い出
初恋の思い出。僕の初恋は普通じゃないって良く言われる。
近所の戸建てで暮らしていた、奔放自由に振る舞うネコ、彼女が僕の淡い思い出。
おいおい、ってたかがネコという勿れ。その澄んだ目、碧い瞳、気分でコロコロ変わる丸い目に、僕はもうすっかり釘付けだった。
しかも毛並みと言ったら、銀色がかった灰色で、艶やかに陽の光に映えるのだ。華奢な胸元からくびれた腰へのラインは、若き日の盛りを語っていた。ゆったりと歩く腰つきに、僕はただただ見惚れてしまっていた。
僕のことを異常だって思うかもしれない。でも多様性が認められたこの社会で、面と向かって僕を糾弾できる大人がいるだろうか。もしいるなら、僕は全力で言ってやる。
「アンタこそ社会の変化に乗り遅れたオールドタイプさ。さっさと隠居でもして切腹の準備でもするんだな。」
僕は密かに成田悠輔さんのファンだったりもする。
何度かの出会いを経て、ある週末の午後、僕と彼女は家の前で偶然再会した。神に感謝します、最近覚えたての台詞が頭に浮かんだ。彼女は澄んだ目で僕を一瞥すると、数歩して優しく声をかけてきた。
「ニャア」僕以外の人間にはそう聞こえただろう。僕もそれくらいは認める。でも僕には脳内変換された言葉として、「ご機嫌よう」そう聞こえたんだ。今どきご機嫌ようって、見た目通りのお嬢様じゃん。僕は胸の高鳴りを抑えられなかった。
声を掛けられたんなら、返事しないと。わずか数秒、クラスではイカれてると評判の僕の脳内CPUがそう判断した。でも僕の脳内には逆変換の機能がついてなかった…何て、何て言えばいい、言ったらいいんだ?まるで若きウェルテルの悩み、こないだの国語の授業で読んだ。僕の恋は叶わないのか?いや、まだ何も終わってない。むしろ始まってもいない。
僕は努めて冷静を装い、精一杯の笑顔を彼女に向けた。そうだ、僕たちの間には言葉なんていらない。僕は彼女にそっと近づくと、怖がられないように腰を下ろした。
彼女は少し戸惑ったようだ。少し首を傾げた仕草で僕の方を見返した。
僕が差し出す指先がわずかに震えていたのを、彼女は気づくだろうか。高鳴る胸の鼓動がハッキリと音を立てて僕の鼓膜の奥で暴れ出した。
彼女は指先に鼻を近づけ、嗅ぐような素振りを見せた。僕を知ろうとしてくれた。それだけで僕は幸せな心地だった。もう僕に迷いという言葉はなかった。そっと彼女を、この胸に抱きしめたんだ。
その温もりも毛触りも、耳の内側までもが愛しかった。揺れる尾の柔らかな毛たちがそっと僕の頬を撫でた。
彼女の名を、僕は知らない。でも構わない、君が望んだ名ではないのだろう。僕が君の名を呼ぶ時、それは君に相応しい名を二人で決めた時。幾つばかりの間か、僕の脳内は彼女のことで満たされ、駆け巡った。
彼女はじっとしたまま、僕を見据えた。射るような視線。その口は何を語るか、ささやくのか。
彼女の右手が動いた。左頬に痛みが走る。彼女は
身をよじると、振り解くように僕の腕から舞い降り、走り去った。
恥じらいなのか、僕が焦り過ぎたのか。後悔はなかった。次会った時に確かめればいいさ、そう思った。
家に帰ると母親が僕の顔を見て驚いた。
「どうしたの、その顔?」
恋の勲章さ、とでも言ってやりたかったが、恋なんてすっかり忘れてしまった母には野暮ってもんだ。
何でもないよ、とだけつれない返事をしておいた。
出会いの記念に顔を洗わずにいた僕は数日後、傷が化膿して両親に病院へ連れて行かれた。
綺麗な薔薇にはトゲがある。
綺麗な彼女にはツメがあった。
それ以来、彼女は二度と僕の目の前に現れることはなかった。
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