見出し画像

西洋近代と日本語人 第3期 その2


1.はじめに

35. 今回は、第2期の論点を振り返ります。第1期の主題が〝暴力〟だったのに対し、第2期は〝力〟でした。ものごとを実現していく根底の力とは何なのか、という問いがその発端となっています(2の1:5)。たぶん、意識下で、暴力だけを追いかけるのでは議論の広がりに欠けると感じていたのでしょう。2の1に記した偶然の会話をきっかけにして、〝ものごとを実現していく根底の力〟に話柄を転じたわけです。

36. 暴力はものごとを実現していく力の一種なので、話は大筋では続いている。でも少しそれる。そんな気持ちで、第2期は「番外編2」と名付けました。このあたりのことは前回にも記しました。では、第2期はどんな展開になったのか。

2.ここまでの流れ――第2期の論点

ものごとを実現する力――イデア、ピュシス、神の意志

37. ものごとを実現する根底の力は、そもそも人間の手中にあるものではない。プラトンによれば、その力は人間の生きるこの感覚的世界を超える水準にあり、あらゆる事物にそれ本来の姿を与える原因として、この世界を成り立たせている。それが理念的世界の不生不滅の真実在、即ちイデアである。イデアを模範として造物主デミウルゴスが感覚的世界を造った。人の住むこの世界はこうしてできた。このように語られます。(2の1:8)

38. これに対し、アリストテレスはこう言いました。事物に本来の姿を与える力は、この世界の事物の内にピュシス(自然本性 nature)として宿っている。例えば、動植物の内には、それ本来の姿に向かって成長していく力がある。また土・水・空気・火という4種の単純物体(四元素)も、そのものの本来の場所へ向かって、下または上へと動いていく。かくして事物に宿る自然本性(ピュシス)こそ、あらゆる運動・生成・変化の始まりであり、ものごとを実現する根底の力である。(2の1:25-27)

39. プラトンとアリストテレスは、このように、それぞれ対照的な説を立てました。あるものXをXたらしめている根本の力(原理)は、イデアとして〝この世界の外に〟在るのか、ピュシスとして〝この世界の内に〟在るのか。この二つの考え方は両立しません。ところが、この二つはともに西洋のキリスト教神学および哲学に流れ込み、近代の科学革命(the Scientific Revolution)の遠因となります。(2の1:35 & 40)

40. アリストテレスの哲学は12世紀から13世紀にかけてキリスト教の神学と哲学に組み込まれ、スコラ哲学の学問体系を生み出します。近代科学はこのアリストテレス-スコラ的な学問体系に対する反逆だった。

41. 他方、プラトンの哲学は、それより千年くらい早く、古代末期に新プラトン派の哲学を仲立ちにしてキリスト教の唯一神の概念に組み込まれます。世界全体の造り主としての全知全能の神という概念は、聖書の教えと古代末期のギリシア思想が合流して形成されたものです。

42. 近代科学は、神がみずからの意志を法として〝外から〟世界に押し付けた、という神意論(voluntarism 主意主義)の神学を、その成立の重要な契機としています。このなりゆきは、近い過去のアリストテレス-スコラ的な自然哲学を打倒するために、より遠い過去の創世記とプラトンの神が呼び出されたものであるともいえます。(2の2:45 & 46)

神の意志と個人

43. 西洋近代の学問の根底には、神がこの世界に命令として与えた道徳的自然法と物理的自然法則の真の姿を見いだしたい、という欲求があります。自然科学も、政治学や倫理学などの人文社会科学も、神のほんとうの意志を知るための活動だった。

44. 西洋近代の学術の前提として、宇宙の根底にはひとつの意志があるという感覚があるようです。そして、この感覚は、日本語人にとって異質ではないかと思われます(2の15:592 & 593)。すくなくとも私には、ピンと来ない。宇宙は知性や意志といったものと無関係にただ広がっていて、人間はたまたまそこにいるだけ、と感じられます。一切は偶然に成ったもので、何者かの意志によって成るべくして成ったわけではない。したがって、なぜ自分がここにいるのかという問いは、究極的には意味をなさない。このように感じられます。

45. この日本語人の生活感覚と、自然の奥底には神の意志があるという感覚は異質でしょう。日本語人の日常の生活感覚は、神の意志を見いだしたいという西洋近代文明の根底の欲求と、必ずしもうまく繫がらないはずです。だからどうというわけではないのですが、問題として忘れないでおくために、ここに記しておきます。

46. さて、アリストテレス-スコラ的な神学・哲学体系は、17世紀には、特に自然哲学の分野で限界が明らかになってきていました。初期近代の哲学者たちは、前代の学問体系を捨てて、自分の力で自然を探究する必要に迫られた。確実だとされてきた何もかもが今は疑わしい。だから、自分で確かめてこれは本当だとしか考えようがないことだけを、知識の基礎としてやっていこう。デカルト(1596-1650)やジョン・ロック(1632-1704)は、こう考えた。西洋近代を生み出したのは、思想史の観点からみれば、懐疑論と個人主義だったと言ってよいと思います。(2の2:49 & 50)

47. ものごとを実現して行く力とは何か? という問いに、近代科学を念頭において答えると、以下のようになります。神は自由意志において自然法則(神の命令)を世界に与えた。だから、ものごとを実現して行く力は根本的には神の意志である。だが、人間は、自然法則を知ることによって、その力を自分の理性に取り込むことができる。また、自然法則に従って活動することで、その力を利用することもできる。近代世界では、ものごとを実現して行く力は、こうして人間の理性に宿ることになります。

48. さらに、人間の理性は、通念や定説を疑い(懐疑論)、自分の見方に徹底してこだわること(個人主義)を通じて未知の真理に迫る。だから、ものごとを実現して行く力は、特に、懐疑する近代的個人の中に宿る。こう言えるわけです。(2の2:72-74)

日本の近代化と個人主義

49. 西洋の16、17世紀とは対照的に、19世紀末に日本が近代化するとき、懐疑論と個人主義は必要とされなかった。近代化をすばやく推進するためには、殖産興業や富国強兵の意義を疑ったり、自分のものの見方に徹底してこだわったりしない方が賢明だったからです(2の2:55-57)。だから、明治期の日本では、懐疑論と個人主義はむしろ近代化に抵抗する側の人々に出現しました*。

注*: なお、この点は、2の2の58などでかなり断定的に述べましたが、明治の元勲や啓蒙家たちの日記や手紙を逐一調べて、彼らに懐疑論と個人主義が見られないことを確かめたわけではありません。一般的な印象であり、個別的な確認は今後の課題です。

50. 近代化に疑問をもった人々のなかで、例えば、二葉亭四迷は、西洋近代の科学知識が、生きるための拠りどころを与えるのかどうかを本気で考えた。そして、科学は事実を告げるが、どう生きるかは教えない。どう生きるかは身を挺して自分でやってみるしかないと考え、自分の人生を一種の実験と見なす破天荒な生き方をしました。彼は、西洋文明をただ受け入れて事足れりとする時代の通念を疑い、自分の考えにこだわって生き、そして死んだ。二葉亭四迷は、近代化に抗う近代的個人として生きたわけです。(2の2:61, 64-71)

51. あるいは夏目漱石の場合、大学の英文科で学んでも文学とは何かを理解する手がかりすら得られはしないことがわかった。卒業のころには「腹の中は常に空虚」で「霧の中に閉じ込められた」ような抑鬱状態に陥ります(2の3:84)。その状態で英国に留学し、「人知れず陰鬱な日を送〔る〕」なか、ロンドンで「自己本位」の生き方に覚醒します。西洋文明の受け売りをやめて、文学とはどんなものなのかを自分で明らかにするほかない、と覚悟を決めたわけです(2の3:90-94)。

52. 漱石の『文学論』は、文学とは何かということを、西洋人の意見の引き写しでなく、自分の考えで理論的に明らかにする試みでした。本人はこの作品を失敗と評していますが、本質的な問いに借り物でない答えを与えようとしたことは、高く評価されてよい(2の3:98-103)。漱石は、しかし、『文学論』以後、文学とは何かという問いに自己本位の立場から答えることを、理論ではなく小説の実作によって果たす方向に向かいました。

53. 漱石は、講演「私の個人主義」で、個人主義とは「党派心がなくって理非がある主義」であると説明しています(2の4:128)。個人主義は、漱石にとって、集団の一致より個々人の理非曲直の判断の方を優先する生き方を意味した。すると、国家の一致団結を最も重要と考えた明治期の日本社会の風潮とは対立することになります。個人を集団より優先すると、日本社会で個人はどんな運命に見舞われることになるのか。この問いへの回答は、「私の個人主義」にはありません。漱石は、『それから』『門』『こころ』の三篇を通じて、この問題に答えていると解されます。(2の4:128-137)

54. この三篇は、個人の恋愛感情と社会規範の対立が主題です。一人の女性への恋愛感情をめぐって、親友である二人の男性に生じる葛藤が扱われています(2の6:174-178)。『それから』は、親友から妻を奪った男性が、生家から義絶され社会的に排除されるいきさつを描いています。『門』では、同じように親友から妻を奪った男性が、日常生活を取り戻したものの、不安と自責の念に苛まれ、宗教に救いを求めます。でも救いは得られない。(2の6:179-206)

55. 『門』ではこのように未解決に終わった自責の念が、『こころ』で語り直されます。親友を欺いて自殺に追いやった男性(「先生」)は、自分を責めながら生きている。そして、「明治の精神に殉死する」という謎めいた言葉をあとに残して自殺する。個人主義的に生きた人物は、社会的に孤立し、自責の念から自己処罰へと追いやられたのです。(2の6:178)

56. 『こころ』は、近代日本における愛の困難という問題を浮き彫りにしています。「先生」とその親友Kは、同じ一人の女性に心を惹かれます。しかし、二人とも、自分の愛を率直に表明することができません。Kは恋愛を貶める社会規範にとらわれている。「先生」は、Kに気兼ねしてその女性への恋着をKに隠し、Kを欺いてしまう。二人とも自分の愛をあるがままに肯定できないのです。

57. こうしてKも「先生」も、孤立し、自殺に追い込まれます。Kは、性愛の根源的欲求を否定するほかなくなって、自殺する。「先生」は、Kを欺いて自殺に追いやった記憶によって深刻な自己不信に陥り、生きる力を失ってしまう。そして乃木大将の殉死に触発されて、自殺する。

58. 「先生」の自殺は、厳密には殉死とはいえないものを強引に殉死と称したに等しい(2の9:345)。この不合理ななりゆきは、自己不信によって生きる力を失った個人が、自分の人生の意味を無理やり近代国家に見いだそうとしたものだ、と解することが可能です(同上:338)。幕末維新期の激しい社会変動の中で、心に空虚を抱かざるをえなかった多くの人々は、その空虚を埋めるためにナショナリズムに傾斜していく。『こころ』は、そのような明治期の個人の運命を描いています(同上:357-358)。

59. 漱石の作品から浮かび上がって来るのは、性愛という根源的欲求を個人が肯定して生きる道は、近代日本には用意されていなかったということです。主人公が周囲に逆らって自分の愛の欲求を貫くと、人生はにっちもさっちも行かなくなる。自己本位の生き方は、かえって破滅を招き寄せてしまう。こうしてみると、日本の近代化は、懐疑や個人主義を積極的に憎むものだったのかもしれません。

物のあわれを知ること

60. 前近代の日本に目をやると、性愛を肯定する思想として、本居宣長の「物のあわれを知る」ことの称揚があります。「物のあわれを知る」とは、ものごとの本質を深い感動とともにとらえることを言う。宣長は、和歌や物語は「物のあわれを知る」という観点から読まねばならないと主張して、文学の読み方に大きな変化をもたらしました(2の11:443)。

61. しかし、宣長は、好色(性愛)は「物のあわれを知る」ことであるがゆえに、物語の世界だけでなく、現実世界においても肯定されるべきだ、とまでは言わなかった(2の11:441)。現実世界で「物のあわれを知る」ことが成り立つのは、人々の間に深い感動と相互理解が成り立つときです。そうすると、性愛の欲求も相互理解の中で秩序を大きく乱すことなく、むしろ穏便に処理されることになる。(2の12:492)

62. 宣長の物のあわれの論の延長上に想定できるのは、相互の感情移入によって社会的な調和が成立するように調整された世界です(2の13:503-508、542)。相手の切実な思いに感応してこちらが動かされるなら、相手もまたこちらの切実な思いに感応して動かされる。すべての人間関係において、こちらの思いが相手を規定し、相手の思いがこちらを規定する相互規定が反復される。すると、その世界では、たとえ性愛の欲求であっても、

●  周囲に逆らってではなく (というのも、切なる思いはすべて相互規定的なので、私の切実な思いは、あなた(たち)にとっても切実であるから)、

●  秩序を大きく乱さずに (というのも、人々が他人の切なる思いを我がことのように理解するから)、

●  相互了解の成り立つ範囲で (というのも、相互規定的な了解を破るような異常な思いはあらかじめ除去されているから)、

実現されることになりそうだ。仮に、大野晋のかなり大胆な推測を受け入れるとすると、宣長自身の二度目の結婚には、所与の社会秩序と折り合いをつけながら性愛の欲求を最大限に実現する生き方があからさまに表現されていると言えそうです(2の16:657-671)。

宣長的認識論と日本思想

63. 「物のあわれを知る」ことの提唱は、認識論的な主張として注目すべき特徴があります。宣長は、対象に感動することと、対象の本質を認識することを同一視します。「物のあわれを知る」ことは「物の心を知る」ことである。「あわれ」と感じる体験は、「あわれなるもの」の全き把握であり、その感動を通じて対象は余すところなく把握される。感動を超えた異形の本質が姿を現すことは想定されていません。その意味で、感動と区別して客観的実在(つまり絶対)を追求する欲求が生まれない。感動のあるところには必ず本質の認識があるからです。宣長的認識論の最も注目すべき特徴は、感動とは別に絶対を追求しようとしないことです。(2の37:1540)*

注*: 宣長的認識論については2の15:595~631で立ち入った考察をしました。2の29:1186~1187と2の30:1216~1217にその簡略な要約があります。2の30:1230~1241と2の35:1443~1446には、懐疑論の不在と関連させた議論があります。

64. 宣長のように、主観的な感動体験と客観的な本質認識を合体させてしまう姿勢は、日本思想にしばしば見られます。主体と客体を分離するのではなく、自分と対象が一体化すること、すなわち物心一如こそが真理認識のほんとうのありかただ、とするわけです。昭和戦前期には、科学者の橋田邦彦がこのような立場をとった例があります(2の15:633-637)。

65. 以下は、鈴木大拙の著作からの引用です。主客分離を批判する典型例として挙げます。ただし例示のみ、説明はまた別の機会とします。

「精神または心を物(物質)に対峙させた考えの中では、精神を物質に入れ、物質を精神に入れることができない。精神と物質の奥に、いま一つ何かを見なければならぬのである。…(中略)…なにか二つのものを包んで、二つのものがひっきょうずるに二つでなくて一つであり、また一つであってそのまま二つであるということを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。」(鈴木大拙『日本的霊性』岩波文庫1972、p.16)

「西洋の人々は、物が二つに分かれてからの世界に腰をすえて、それから物事を考える。東洋は大体これに反して、物のまだ二分しないところから、考えはじめる。」(鈴木大拙『新編 東洋的な見方』上田閑照編、岩波文庫1997、p.166)

愛と認識 ―― 日本の場合

66. 感動と本質認識を同一視する宣長的な認識論と、個人が周囲に逆らって愛を肯定して生きる途が日本社会にないことの間には、共通性があります。個体の欲求は、所与の秩序を乗り越えるはたらきを持ちえない、というのがこの二者に共通する特徴です*。

注*: なお、宣長的な認識論と日本社会における愛のあり方の共通性という論点は、第2期に論じたものではありません。新たに考えたことです。厳密にいうと第2期の議論を振り返るという今回の主題からは逸脱しますが、せっかく考えたので、書き記しておきます。

67. 日本社会では愛が共同体の所与の秩序を乗り越えられないことは、漱石が描いた明治社会の現実や、宣長の説く「物のあわれ」を原理とする社会の理想像(62参照)によって、すでに十分示されていると思います。愛に生きようとする漱石の主人公は破滅します。宣長の理想社会は、相互感応による予定調和のなかに閉じ込められています。いずれの場合も、愛が所与の秩序を乗り越えていく力になることはない。

68. では、宣長的な認識論が、所与の秩序を超えないとはどういうことか。まず、宣長的認識論の概要をもう一度確認してから、所与の秩序を超えない仕組みがどのように組み込まれているのか、具体的な例を通じて考えます。

69. 宣長は、事物の本質認識と、事物への感動体験が区別できることを理解していました。だが、この二つを〝あえて区別しない〟方向をとります。宣長が関心をもっていた審美的な領域では、対象の本質は、自分の感動のなかにありありと姿を現します。物のあわれを知ることは、とりもなおさず、物の心を知ることです。それならば、自分が美しいと〝感じる〟ことと、対象がそれ自体において美しく〝ある〟ことを分ける必要はない。これは、対象が何で〝ある〟かを知ることが、つねに自分と対象との相対的なかかわりのなかに留め置かれることを意味します。いいかえれば、自分の感動体験を原理的に超える絶対的な存在(客観的実在)を想定しない(物心一如)。こうして自分があわれを感じる対象は、そのまま〝あわれなるもの〟となる。(2の35:1445, 1446)

70. 宣長的な認識論は、こういう構造になっています。この認識論は、現実の場面に適用すると、認識のはたらきをどのように描き出すのか。私自身の『こころ』の鑑賞体験に適用してみましょう。

71. 私は、高校生のころに『こころ』を初めて読みました。全体に思い詰めたような、妙に迫力のある文章なので、読みながら息が詰まるような感じがした記憶があります。同時に、変な話だなあ、話の筋に納得いかないなあと思い、読み終えてなんだか茫然としたことも憶えています。『坊ちゃん』や『草枕』と随分ちがう、なんじゃこりゃ、と思った。そして、今回たまたま50年以上経って読み直したわけです。さすがに、ずっとよく解るようになっていました(よかった)。「心に空虚を抱いた明治人がナショナリズムに呑み込まれていく物語」(2の9:358)として、かなり細かいところまで読解できた感じがする。

72. さて、この2回の『こころ』鑑賞体験に宣長的認識論を適用してみます。高校生のときの体験は、感動の方に重きがある。最近の体験は、本質認識に傾斜している。そういう違いはあるけれども、1回目は1回目なりに息の詰まる感じの感動があり、その感動のなかには「わけわからんが、迫力はある」という『こころ』の本質の把握があった。2回目は2回目なりに、「心に空虚を……物語」という本質の把握があり、それに応じた感動(たとえば、明治社会を生きるのは大変だったんだなあ)があった。

73. この二つの鑑賞体験は、『こころ』という同一の対象にかかわっている。そして2回目の方が、とりわけ本質認識について、1回目より的確な内容を備えている。こう言いたくなります。でも、宣長的な認識論を適用すると、そうは言えません。

74. 1回目は1回目で感動と本質認識が一体化した完結した体験だった。1回目の感動は、思い詰めたような奇妙な迫力を感じただけだったとしても、「物のあわれを知る」ことにおいて2回目より劣るわけではない。また、1回目の本質認識は、「わけわからん」と表現するしかないものだったとしても、高校生が精いっぱいの理解力でそう把握したという意味で、「物の心を知る」ことにおいて不足があったわけではない。

75. 『こころ』の解釈と鑑賞に客観的な〝正解〟があると考えるのでない限り、1回目と2回目の鑑賞体験は、物のあわれを知り、物の心を知る体験として、同じ身分で並び立つ完結した体験と見なされるはずです。同一人物の2回の体験を比較しているので、1回目より2回目の方が進歩していると言えそうな気がします。しかし、これが高校生のAさんと70歳のBさんという異なる二人の人物の体験だったと考えると、話はちがってくる。高校生の方が、言葉は足りないけれど、瑞々しい感動体験(即本質認識)があると言いたい人だって出てくるかもしれない。

76. なにが言いたいのか。第一に、宣長的な認識論を採用すると、個々の人の認識は、それぞれの立場における完結した〝感動即本質〟の把握として、同等の扱いをせざるを得なくなる。まずはこれです。

77. 第二に、感動体験においてその人にとって事物の本質(物の心)がすべて現れているとは、認識がその時その場に現れているものを超えていく運動にならないということを意味する。今ここに与えられているものを超えていかない。つまり、認識が〝所与の秩序を超えない〟のです。

78. 第一と第二を続けて記すとこうなります。宣長的認識論を適用すると、対象の本質認識は、各人の感動体験に相対化され、所与の秩序を超える作用をもたなくなる。

79. なお、感動と本質認識を同一視するとしても、事実として、人がより深い感動(即ち、よりすぐれた本質認識)を求めることはあります。現状を超えていこうとするこの欲求をどう説明するか。

80. 私の考えでは、宣長的認識論の下では、この欲求は自分の感受性を磨く努力になる。自己訓練の欲求になるといってもよい。自分の外に向かって絶対的なものを目指すのではなく、自分の内に向かって自分の新たな覚醒を目指す。感動と本質認識を同一視すると、新たな感動(覚醒)でもって現実の制約を乗り越えようという方向になるわけです。

81. 日本の社会では、愛が所与の秩序を乗り越えていく力にならない。同じように、宣長的な認識論のもとでは、対象の本質を認識したいという欲求が、所与の秩序を乗り越えていく力にならない。というのも、それぞれの人の感動はその人なりに完結していて、かつその感動を通じて本質はいつもすでに顕わになっていると見なされるからです。感動を超えるもの(絶対)に向かって所与の秩序を乗り越えていく欲求は登場する余地がない。結局、宣長的な認識論は、個の欲求が所与の共同体を乗り越えていく力とならないよう、個を抑制する役目を果たしている。そう思われるわけです。

愛と認識 ―― 西洋の場合

82. 第2期には、本居宣長の「物のあわれ」の論を扱ったあと、西洋における愛の思想として、エロースとピリアーとアガペーを取り上げました(2の17~2の24)。西洋思想の伝統的な考え方では、愛は所与の秩序を乗り越えていく力になる。近代を作ったのは個人の愛と自由である、と言うことができます(2の23:963 & 967、2の24:970)。

83. しかし、西洋近代における愛は、特有の困難をはらんでいます。神は人を無差別に愛する。神の愛は、人が神にならって愛において生きることを命じている。ところが、命じられたとおり愛において生きたからといって、その人が必ず救われるというわけではない(2の22:902)。つまり、人が自分の努力を通じて神へと到る確実な方法はない(2の21:875)。近代のキリスト教(プロテスタンティズム)は、神と人の関係をこのようにとらえます。

84. 人から神へといたる道がないという近代における愛の困難は、神を真善美に置き換えると、人が自分の努力を通じて真理と善と美へ到達する確実な方法はない、というように言い換えられます。これは懐疑論の主張そのものです。西洋近代の哲学は、懐疑論を乗り越えるデカルトの試みから始まりました。西洋近代哲学のさまざまな認識理論は、近代における愛の困難をどう乗り越えるか、という包括的な主題から派生したものだと考えてよいでしょう。

85. 2の32から2の38まで、デカルトの神の存在証明を、かなり詳しく分析しました。デカルトの哲学的方法とその意義は、今後、ロバート・ボイルやジョン・ロックの実験的自然哲学(experimental natural philosophy)を論ずるなかで、また取り上げる機会があると思います。すでにけっこう長くなりましたので、今回はこれまでとします。

86. 次回は、10月26日(土)に公開する予定です。実験的自然哲学の話をするつもりです。

いいなと思ったら応援しよう!