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第169回 能登地震での自給自足での対応事例(珠洲市馬緤町)


質問 能登地震ではコミュニティが自給自足で対応した例もあるんですか。

概要

 ①珠洲市馬緤町自然教養村センター
 ②祭りの発電機と湧き水
 ③住民が自発的に食材を持ち寄ってセントラルキッチン方式で料理
 ④地元防災士による避難所運営支援

解説

①珠洲市馬緤町自然教養村センター

 能登半島の北端に位置する珠洲市馬緤(まつなぎ)町では、2024年1月1日の能登地震発生後に、珠洲市の市営の自然教養村センターに被災した住民が集まりました。
 ここは、近くに日本海に浮かぶ奇岩「ゴジラ岩」がありますが、地震後の地盤の隆起により、岩と海岸が陸続きになりました。また、土砂崩れや地盤の隆起により、まわりの山道が寸断され、孤立することになりました。
 ここは、発災前に市の避難所に指定されていたわけではありませんでしたが、周辺の道路が寸断され、孤立する中で、湧き水や自家発電施設があったことから、自然に地域拠点となり、住民の共助による自給自足の対応が行われました。なお、このセンターは、後に、市の避難所に指定されました。

②祭りの発電機と湧き水

 発災後は、200人ほどの住民がここに避難し、お互いに助け合って生活を送っていました。
 そして、水道が断水になる中で、山の湧き水をひいて利用したり、停電している中でコミュニティの祭りで利用している「祭りの発電機」を使って、館内に明かりをつけて調理をしました。さらに、便座ヒーターやウオッシュレットのついたトイレも利用できたそうです。
 なお、携帯電話は、発災後に基地局のバッテリーが切れて利用できなくなりましたが、徒歩でやってきた自衛隊から衛星電話の提供を受けて対応していました。

③住民が自発的に食材を持ち寄ってセントラルキッチン方式で料理

 食事は、住民が自発的に食材を持ち寄って、山の湧き水を利用して炊き出しを行いました。
 また、この施設のキッチンを利用して、セントラルキッチン方式で200人分の料理を作り、それを在宅避難をしている各家庭に運んだりもしました。
 さらに、地震によって海岸が隆起したことから、潜らなくてもサザエやアワビが取れ、「御馳走」を食べることができました。

④地元防災士による避難所運営支援

 地元の防災士3人が、クロノロ(時系列的な記録)を付けて避難所運営を支援し、避難者名簿の整備、修繕すれば通行可能なルートの調査等を行い、専門ボランティアの協力も得て、道路啓開を行いました。
 ただし、発電機はあったものの、暖房をつけるほどの電力がなかったことから、寒さのため、体調を崩す住民も出て、感染症の問題も発生しました。
 そのため、医療関係のボランティア団体の支援を受けて治療を行ったほか、道路の一部修復後に、自衛隊等に金沢まで運んだもらい対応しました。
 周辺道路は、一般車両の通行が制限されていましたが、自衛隊が特殊車両によって物資提供を行い、支援を続けました。

参考文献
・渋井哲也,2024,「地震で孤立した村で始まった予想外にハイレベルな「自給自足」生活 お祭り用の発電機でウォシュレット、山から水を引いて200人分の料理も」(文春オンライン).
・空飛ぶ捜索医療団ARROWSのHP2024年1月8日記事「【令和6年能登半島地震】誰一人、取り残さない。孤立集落に安心と笑顔を届ける」.

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