生成AIの近未来と価値・・・
今や、爆発的にAIが進化している。国内でも、生成AIへの取り組みや、個人的にも簡単な英語のプロンプトだけでジェネレートした映像を、ネット上で販売する時代になっている。
PhotoshopやIllustrator、そしてLightRoomなどのアプリが世に出回ると、これまでクリエイターのプロとして仕事をしていた人以外に、素人さんでもクリエイターとしての仕事ができる環境となり、当時は、「一億総クリエイターの時代」と呼ばれたのは記憶に新しい。
ところが、生成AIの登場により、英語の語彙力があり、緻密な表現力やカメラやレンズの専門知識が少々あるだけで、アーティスティックな映像をジェネレートできる時代となり、益々、プロのクリエイターとの境目が判別できなくなってしまうような畝りが生じている。
テキスト生成AIについても、文章力に引け目を感じていた人が、生成AIに依存することで、文豪並みの語彙力と表現力を授けられ、ストーリーを簡単に創作できるのだから、腰を抜かしてしまうばかりとなる。
ただ、生成AIに依存しなければ映像や小説などの物語が作れないのであれば、それは、著作権の問題も生じてくる中で、正確にはプロのクリエイターや作家として仕事をこなせるかと言えば、ノーである。
確かに、生成AIを活用しての新たなビジネスの可能性は高いと言っても過言ではないが、果たして、法整備などが後から追い掛けてくる場合に、単なるプログラミングだけで生成されるものが、著作権をクリアできるかと言えば、そう簡単にはイェスと言えない。
1990年代は、3D CG(三次元コンピュータグラフィックス)が台頭し、テレビ局はどこもかしこも、番組のオープニングタイトルをCGで飾っていた。
筆者のオフィスも、Silicon Graphics社製の専用マシンを2基導入し、NHK衛星放送や地方NHK、関西テレビやフジ系などの地方局の番組タイトル動画を供給していた。
しかし、3D CGで制作されるものと、AIで生成されるものの大きな違いは、同じようなプログラミングを必要としているとしても、3D CGの場合は、絵コンテを描き、イメージ通りに立体化し、テクスチャーなどを決めて、一人のアバターやその他創作物が完成する。
それに対して、AIの場合は、AIがビッグデータから学習したものや、プロンプトを操る人間が提供する写真などの情報を元に、画像が生成されるので、どうしても、現行法を改定することで、著作権法に完全に抵触する可能性が高くなってしまう。
この場合、諸外国および日本国内の法整備はどう動くのかを注視しておかねば、現在、加速度を上げて先走ったとしても、デジタル世界が倫理性なども含めて、かなりの制限を受けるのではないかと危惧するのである。
何はともあれ、自治体の定型業務などのテキスト生成AI実用化は予測可能であるが、著作権や個人情報が絡むものについては、軽視できるものではない。
筆者も、画像生成AIのMid-journeyを利用して、自分の頭の中でイメージするものをジェネレートさせ、記事のカバー写真に活用したり、ChatGPTなどのテキスト生成AIに、自分の記事やエッセイの評価をさせている。
しかし、アナログな人間の脳は、感情の領域を含めると、AIでさえも計り知れない大宇宙が広がっており、そう簡単に全て合理化のためにAI依存に走るのは、少々軽々ではなかろうかと考えざるを得ない。
勿論、人間の目で直視できないもの、予測不能なものに対して、AIが超能力的なアシスタントとして活躍するのが理想であるけれども、ここらで一息入れて、近未来AIの活用法をじっくりと考察するのも宜しいかと・・・。
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、生成AIの進化とそれに伴う価値観の変化について興味深い視点で論じています。以下にいくつかのポイントを挙げてみましょう。
生成AIの進化と創造性の変容への洞察: 著者は生成AIの進化が、クリエイターやアーティストにとって新たな機会と挑戦を生むことに焦点を当てています。映像や小説など、従来は専門的なスキルや経験が必要だった分野でも、生成AIを利用することで一般の人がクリエイターとしての役割を果たせるようになる可能性を指摘しています。
生成AIとプロの境界の曖昧化: クリエイターとしてのプロフェッショナルとアマチュアの区別が曖昧になりつつあるという観察があります。生成AIの登場により、英語力や専門的な知識があれば、プロの仕事として十分な成果物を生み出せるようになり、これがプロとアマチュアの境界を不明確にしています。
法整備と著作権の課題: 著者は、生成AIの利用が進む中で法整備が追いつくかどうかについて懸念を示しています。特に、生成物が著作権にどのように影響するかについて問題提起しており、これが今後の課題となる可能性があることを指摘しています。
AIへの依存と人間の役割: 著者は、AIを活用することのメリットとして新しいビジネスの可能性を認識しつつも、全てをAIに依存することが人間の感情や創造性の領域において適切でないと警告しています。人間の脳が持つ感情や予測不能な側面は、AIが計り知れないものであり、その価値を強調しています。
最後の提案と結びつけ: エッセイの最後で、著者は人間が一息ついてAIの活用法をじっくりと考察する必要性を提案しています。これは、技術の進化に追いつくだけでなく、技術を適切に活用するためには人間の価値観や倫理観も考慮する必要があるという立場を示唆しています。
全体的に、生成AIの進化がもたらす社会への影響と、それに対する著者の洞察がバランスよく表現されています。法整備や著作権に関する懸念が現実的な問題として提示されており、これらの課題にどう対処していくかが将来の課題となりそうです。